投稿

2018の投稿を表示しています

瑠璃色の地球

イメージ
2019年は、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸で迎えた。 5! 4! 3! 2! 1! と、ブラジルの若者に混ざって、皆で白いシャツを来て、カウントダウン。 そして、年明けと共に、コパカバーナの砂浜では大きな花火が次々と空に打ち上げられていった。 「明けまして、おめでとう!」 「今年もよろしく!」 「今年はストレスなく健康な1年になりますように!」 「今年こそいいオトコに出逢えますように!」 ポルトガル語で年明けを祝う大勢の人々の中で、日本人中年オヤジ(オカマ)の4人は、こっそり日本語で新年の挨拶を交わした。 ビーチに設置されたスピーカーからは、ラテンの陽気な音楽が流れていて、白いシャツやドレスを着ている人々の服は、花火の色を反射して、絶えず色を変えてゆく。 ひっそりと静かに年を越す、日本の正月が一番好きだが、たまには地球の裏側でこんなラテンのノリでの年越しもいいかもしれない。 「あんた、起きて! 初日の出、見に行こ!」 「・・・ちょっと、あんた、まだ3時間も寝てないじゃないよぉ」 「あんた、初日の出、ちゃんと拝んでおいたら、今年いいことあるわよ!!」 翌朝、K子にたたき起こされ、2人してホテルを抜け出して、数ブロック先のビーチまで初日の出観測となった。 夜明けの来ない夜はないさ、あなたがぽつり言うー 2年前のエジプトのナイル川での初日の出の時 と変わらず、思わず聖子の「瑠璃色の地球」を口ずさむ。 今年もよい1年になりますように!

たしかなこと

2018年も何とか無事に終わろうとしている。 結局、最後の最後まで仕事でバタバタとしてしまい、年越し前の家の大掃除もちゃんと出来なかった。 それでも、仕事の合間に、親しい友達との忘年会と称した食事会や、仕事場でのパーティなども参加でき、良い年末を過ごすことができたかしら、と思う。 「あたし、来年はイライラしない、怒らない、をテーマに生きるわ! 美輪明宏先生目指すの!」 老人ホームのようないつものカフェで、いつもの仲間と忘年会(ただのお茶会)をしていたら、突然女子のBちゃん(熟女)が言い出した。 自分も、去年の年末は、 "2018年は、人に感謝を伝える、ありがとうと口に出して言う" を目標にかかげて、実際に、なるべく「ありがとう」と言うようにしてきたつもりだ。 ただ、その一方で"ありがとう"を言わない人たちが大勢いることに気づいて、逆にイライラばかりしていたのだ(めんどくさい、オカマね)。 「Bちゃん、あんたそんなこと言って、変な宗教とかにはまらないでよ~?」 などとその場ではみんなで茶化したけれど、自分も2019年は、日々平穏な心でいることを心掛けよう、と思ったのだった。 そして、家族、友達、これを読んでくれている方々、自分自身が、心身共に健康でいられますように! ---------------------- さて、これから空港に向かい、 年末年始、目指すは人生初の南アメリカ大陸、 ブラジル・アルゼンチンだ!

出逢いはスローモーション (7)

イメージ
================== これまでのお話 出逢いはスローモーション (1) 出逢いはスローモーション (2) 出逢いはスローモーション (3) 出逢いはスローモーション (4) 出逢いはスローモーション (5) 出逢いはスローモーション (6) ================== "やばい、バスに間に合わねええ!!" と、平日の朝からバタバタ家を飛び出すと、マンション入口の郵便受けの下に荷物が届いているのが目に入った。 日本菓子か何かの段ボールだったので、すぐにうちの実家の母から送られてきたものだとわかる。 "えーと、荷物を抱えて、一度家にも戻ろうかすら、あるいはこのまま、夜、会社から戻ってくるまでここに置いておこうかすら" と数秒考えたが、ここに放置しておいて万が一誰かに盗まれでもしたら(だれも日本語で書かれた訳の分からぬ段ボールなどもっていかないだろうが)、とバスはやりすごすことにして、荷物を抱えて家に戻ることにした。 次のバスのスケジュールを携帯で確認すると、まだ時間があるので、その段ボールを開けて中身をみてみることにする。 箱の中にはいつものように、粉末状の緑茶やら薄焼き煎餅やらフリーズドライの味噌汁やら鎌倉名物の鳩サブレーやらが詰められていた。 "こうやってわざわざ日本からアメリカまで荷物を送ってもらえるのも、母ちゃんが元気でいてくれる間。永遠に続くものじゃないのよね・・・” としみじみその有難さに感謝していると、 煎餅やらなにやらに混じって、小さい紙袋が2つ入っているのに気が付いた。 その小さな紙袋には、それぞれ「弘明寺」とかかれたお守りが入っていたのだったー。 ------------------------------ 1年前の冬。 久しぶりにクリスマスに日本に帰った。 実家で数日過ごしたあと、大阪、奈良、高野山、東京と旅行したのであるが、大阪からはN君が合流し、十数年前にN君が英語教師として住んでいた奈良の村などを一緒に訪れたりしたのである。 アメリカに戻る前には、新宿の天ぷら屋で妹夫婦にN君を紹介したのだが、妹夫婦も普通に接してくれて、安堵したのを今もよく覚えている。 その翌日、アメリ

少し元気失くしてるあなたにも 心いやす言葉を探している

フロリダのオーランドの空港で、サンフランシスコに戻る便を待っている。 この1週間、ここオーランドで仕事関係のカンファレンスに参加していたのだ。 アメリカに十何年も住んでいても、未だに人前で英語で話すのが苦手なので、この手のカンファレンスは本当に苦痛でしかない。 自己紹介からはじまって、グループディスカッションだの、ケーススタディだのを、アメリカ各地から集まってきた見も知らずの人達と、1週間も毎日やるなんて、考えただけで腹が痛くなるわ! と、もう数か月前から参加日が近づくにつれて、食欲もなくなるほどのストレスを感じていた訳なのだ。 そんなカンファレンスとトレーニング漬けの1週間も、気が付けば何とか無事に終え(ストレスで大分痩せたかしら・・・)、1週間溜まっている通常業務の仕事はとりあえず忘れたふりをして、空港のバーで一杯ひっかけてる。 ------------------ "できごとより、考えのほうがこわい" と、最近読んだ角田光代氏の「さがしもの」という本に書いてあった。 実際にできごとが起こるよりも、そうなることを恐れて心配したり不安になったりする「考え」のほうが、よっぽどこわいというのである。 "できるだけ考えないようにする。目先のことをひとつずつ片づけていくようにする。 そうすると、いつのまにかできごとは終わり、去って、記憶の底に沈殿しているー" 確かに、カンファレンスの発表で失敗したらどうしようといった目先のやわな心配事も、日々の人間関係や仕事の事も、将来・老後のことを色々考えて不安になるような事も、なんでも色々先立って考えてしまうのが悪いのだ。 実際に起こってしまえば、大抵のことは、考えていたよりもあっさりと済んでいくということは、40年生きてきて経験で分かっているのに。 「もうこの仕事ほんとに無理!!!終わんねえ!!!」 と社内のチャットで同僚の日本人に叫んでみたならば、 「無理だけど、今は、目の前のあるものを、1個1個終わらせていけば、いつのまにか終わってから大丈夫だよ~」 と同僚からさらりと悟りを開いたような返事が返ってきたわよ。 「どうしよう! 最近付き合い始めた彼と、今後う

懐かしさの一歩手前で こみ上げる苦い思い出に

日曜の朝。 どうせ汗をかくから、と顔も洗わずシャワーも浴びずに家を出て、ジムへ向かって歩いていると、反対側から見覚えのある顔の男が向かって歩いてくる。 もう10年近く前に付き合っていたアメリカ人の男である。 「偶然! 久しぶり。 元気だった?」 「クリスマス休みは旅行でも行くの?」 「特に予定ないから、ここにいると思う」 「よい年末を!」 「よい年末を!」 などと、ほんの一瞬の他愛もない会話を交わし、軽くハグした後、お互い別の方向へ向かってまた、歩き出す。 東京ラブストーリーのリカじゃないが、背後に小さくなっていく彼の姿をちらっと振り返ってみる。 ある程度の期間を一緒に過ごした相手ではあるが、今となっては何の未練もない。 しかし、久しぶりに見るその懐かしい姿に、当時の記憶がよみがったのである。 ある程度の期間を一緒に過ごしたその男との別れは、その当時は本当に精神的につらいものがあって、すぐにフィリピン人の新しい男(若いかわいい子!)を見つけた彼と、しばらく独り身のままの自分との間の溝は深く、もう彼の顔など二度と見たくない!等と思ったこともあったかもしれない。 しかし、別れから10年も経つと、そんな恨みつらみよりも、 "しばらく見ないうちに、大分痩せたけど、大きな病気でもしたのかしらん" "その後、フィリピン人の彼とは別れたと風の噂に聞いたけど、クリスマスは一人でさみしくしてないかしらん" と、相手の心配をしている自分である。 「久々に、昔付き合ってた、Jとディナーしてきたんだけどさ」 と同業のM子ちゃんも、最近、昔の男とただの友達として食事をしてきたという。 「当時なんで、この変な男と付き合おうと思ったのかも、思い出せないんだけど!」 「若いときの男選びって、そういう過ちを犯すもんなのよぉ!」 と言って二人で爆笑したのだった。 ただ、自分もM子ちゃんも、過去の男たちとどんな別れ方をしようが、ただ、彼らがどこかで幸せに過ごしてくれていればいい、と願うのである。

MILK - ミルク

イメージ
サンクスギビングの4連休は、パームスプリングスで過ごした。 ロサンゼルスから車で東に2時間弱行ったところにある、砂漠のど真ん中にあるような街である。 ゲイの人々のリタイア後の街としても知られ、右をみても左をみても街中がオカマだらけなのよ。 「ねぇ、ここのバー、ジジイばっかりでつまらない。いい男一人もいないじゃない!」 「あんた、そんなこと言ったって、うちらだって若い子からみたいら、ジジイだわよ?」 「ジジイっつーか、ババアだよ、あんたは!」 自分と同じタイミングで、テニス仲間と遊びに来ていたK枝と、そのパームスプリングスのダウンタウンにあるゲイバーで、周りのオトコ達を物色しながら、酒をひっかけながら、いつもと同じやりとり。 「でもさぁ、あそこに座ってるおじ様達も、若いときがあった訳で。彼らの若いときは、うちら以上に、ゲイとして生きていくの大変だったはずよ」 「ほんとだねぇ。彼らの世代が若いときゲイの権利を訴え続けてくれたおかげで、今のうちらの自由があるんだもんねぇ」 もう11月も終わるというのに、日中はショートパンツにタンクトップでも気持ちが良い夏のような気候である。 確かに平均年齢の高い街だが、そこに住む人も優しく、ロサンゼルスやラスベガスとはまた違った居心地の良さがある街だったのだ。 朝からプールサイドで一杯ひっかけるアル中のあたしです。 砂漠のど真ん中に突然現れる風車群 K枝の友達の所有する家にお邪魔して、日が沈むのをみながら また一杯ひっかけるアル中のあたしです。 遠くの岩山と夕焼け色に染まった雲の美しさよ。 オカマバーに行ってみたら、下品なゲームが。。。 中央の穴におもちゃの鉄砲で当てたら景品がもらえるらしい。。。 ---------------------------- 1978年11月27日。ちょうど40年前の今日。 この国ではじめて、ゲイであることをオープンにしながら市議会議員に選ばれた、ハーヴィー・ミルクが銃で殺された日である。 以前も書いたが、彼はサンフランシスコのゲイの街カストロの「市長」と呼ばれ、LGBTの自由と権利の為に尽力した人であった。 彼が亡くなって30年後の2008年の11月には、ショーン・ペン主演の「MILK

中間選挙

長いことこの国に非米国人として住んでいると、仕事でのネットワーキングや友達のハウスパーティ等の場で、 「何年アメリカに住んでいるの」 と度々聞かれるシーンに出くわすものである。 自分は運よく、学生ビザから就労ビザに移行して、今の会社のスポンサーでグリーンカードを取得することができ、十数年この国に住んでいる。 しかし、例えどれだけ長くこの国に住み、グリーンカードを取得して、どんな仕事をしていようがいまいが、この国に住む権利を得たとしても、取得しえない権利がある。 それが「投票権」なのである。 "トランプ大統領の誕生”から2年が経ち、つい先日その中間結果を知るすべともいえる「中間選挙」が行われた。 グリーンカードを持ちながらも市民権をもたない自分は、投票権はないのだが、一方で2年前の大統領選に投票できずに地団駄を踏んだまわりの日本人の知り合いの中には、今回こそはとアメリカ市民権を取得して、今回の投票に臨んだ人々がいる。 いつもの同業者仲間のM子ちゃんも、そのうちの一人だ。 --------------------------- 「うちでワインでも飲みながら、中間投票の結果をみんなで観ようよ!」 と、いつもの飲み友達のアメリカ人ゲイのE子の提案で、皆でテレビを囲んで中間投票の結果を見守っていた。 我らが民主党が優勢と言われていた下院も、一時は共和党が大多数を占め、冷や汗をかいたが、はやり西側の開票が進むにつれて民主党が盛り返し、結果、下院は民主の勝利となった。 それにしても、なんともわかりやすい程にこの国は政治的に二分されているんかしらん。 中部は共和党の赤に染まり、カリフォルニアや、ニューヨークといった海岸沿い都市部は民主党の青である。 日本ほどの低投票率ではないものの、アメリカでも若者の投票放棄が問題になっていて、投票日前には、著名人たちが、VOTE!!とインスタグラムやフェイスブックで訴えてったわ。 ------------------------- さて、当日の上院下院の投票以外に注目されるのが、州・市のプロポジションである。 - マリファナ事業者に追加的に税を課す - 湾岸のエリアに地震・津波に対する補強工事に予算を追加する -

幸せかい 傷ついてるかい あの日の夢を生きているかい

イメージ
"なんで、あたし、こんな好きでもない仕事して、こんな生活毎日続けてるんだっけ。しかもこんな異国で...." 朝、目が覚めて、会社に行くのが本当に億劫で、ついそんな思考が頭から離れなくなる。 "とはいえ、この年で今の仕事捨てて、新しい職探すのもねぇ...." と自分に言い聞かせて、なんとか起き上がり、毎日電車に揺られて会社へ向かうのである。 ------------------------------------ 「大江千里がサンフランシスコに来るんだって!?」 ロサンゼルスに住むA子から、仕事中にメッセージが入った。 ネットで調べてみると、どうやらサンフランシスコから南に少し行ったシリコンバレーで、ジャズピアノの夕べを開くようなのだ。 「大江千里といえば、"格好悪いふられ方"だよねぇ」 「昔、"山田邦子のやまだかつてないテレビ"とか、出てたのよく観てたわ」 「あたし、実は彼のこと結構タイプだったのよぉ。あの眼鏡がたまらん!」 などと、仲間内でLINE上ひとしきりバブル全盛な日本の思い出を懐かしんだ後、 "確かに、ワイン片手に、大江千里氏のジャズピアノなんて、なんだか素敵じゃないの!" と相成り、はるばるLAからやってきたA子とその相方のM君と、自分のオカマ計3人で、大江千里氏のジャズの夕べに向かったのであった。 ----------------------------------- はりきりすぎて、早々会場についたので、思わず堂々と一番前の席を陣取ってしまう中年ばばあ丸出しの3人である。 大江氏は舞台に登場するなり、ピアノにも触れずに彼が日本で活躍していたポップスの分野を捨てて、ジャズの世界に入った経緯を、語り始める。 四十代後半になってから、日本での仕事を捨ててニューヨークに移住し、昔から好きだったジャズの勉強のために音楽学校に入った大江氏が、言葉や文化の壁もものともせず、身体を壊すまでジャズに没頭する日々。 そしてその彼が今、そのジャズを極めて、目の前で、にこにこと彼自身が楽しむようピアノを弾くその姿に、目が離せない3人だったのだ。 同じように、と言っては烏滸がましいが、日本での仕事を捨て

ベルサイユのばらを求めて (6)

イメージ
================================ これまでのお話 ベルサイユのばらを求めて (1) - 旅立ち ベルサイユのばらを求めて (2) - モンサンミッシェル ベルサイユのばらを求めて (3) - ロワール渓谷 ベルサイユのばらを求めて (4) - ノルマンディ海岸 ベルサイユのばらを求めて (5) - Gay Games in Paris ================================ 「それで、ベルサイユはどうだったのよ」 「結局ベルサイユ行かなかったの。 パリから電車ですぐだからいつでも行けるわとか余裕ぶっこいてたら、 行きそびれたわ!」 「なによ、オスカルにもアンドレにも会えなかったってわけね」 「 パリにもオスカルやアンドレのような美しい人はいっぱいいたけど ね(ぐふふ)」 というわけで、タイトルに「ベルサイユのばらを求めて」と豪語していたのにも関わらず、結局今回はベルサイユ宮殿には訪れることはなかったのだった。 ベルサイユは次のフランス旅行までとっときましょ、ってことで。 それにしても、20年ぶりの夏のフランスは、20年前の夏と変わらず、やはり 美しいところであった。 旅行から帰ってきたら、早々更新しようと思っていた旅行記も、 仕事が忙しいのを言い訳に、後回しにしていたら、 もう11月になっている。 携帯に収められた写真たちを眺めながら、 遠く霞む夏の思い出を懐かしんでいる。 オンフルールにある作曲家エリックサティの家には、白いヤマハのピアノが アンボワースでは、ダヴィンチの家を訪れ アンボワース城の彼のお墓にも立ち寄った 印象派画家モネの庭園は花々が美しかった! その後パリのオランジュリー美術館で彼の「睡蓮」の連作も鑑賞 フランス最終日は、部屋からエッフェル塔が目の前に見えるホテルで、旅程を振り返る 田舎者根性丸出しのオカマです 今回の旅の最後の晩餐は、会社の上司が野菜が美味しいとおすすめのこの店 アルページュ Arpege Restaurant だ ネットフリックスの「Chef's Table」も観て予習してきたの

ベルサイユのばらを求めて (5) - Gay Games in Paris

イメージ
================================ これまでのお話 ベルサイユのばらを求めて (1) - 旅立ち ベルサイユのばらを求めて (2) - モンサンミッシェル ベルサイユのばらを求めて (3) - ロワール渓谷 ベルサイユのばらを求めて (4) - ノルマンディ海岸 ================================ パリの東部に、ショパンやプルースト、モディリアーニやエディットピアフ等の著名人が多く眠る墓地がある。 その墓地の外れには、イギリス文学の文豪オスカーワイルドの眠る墓もあるという。 オスカーワイルドというと、子供の頃に読んだ「幸福な王子」や、学生時代に何度と繰り返し読んだ「ドリアングレイの肖像」くらいしか思い浮かばなかったのだが。 調べてみると、同性愛であることで投獄、破産、そして出獄後は失意のままヨーロッパを転々とし、最期はパリのホテルの一室で亡なるという、彼も同性愛者の歴史の中を生きた一人であったのだ。 ------------------------ ノルマンディからパリに戻ると、前に比べてやたら街にオカマたちが目につく。 蒸し暑い気候の中、右を見ても、左をみても、鍛え上げられた美しい上半身を惜しげもなくタンクトップの隙間から見せつける異国の男達。 フランスのど田舎で1週間も清く正しく静かに過ごしていたから、悶々としてそんな気がしているという訳ではないの! 4年に一度のLGBTのオリンピックである「Gay Games」が開幕して、世界中のオカマ達1万3千人がパリに集まってるからなのである!!! オープニングセレモニーが行われる、パリの外れにある競技場に向かう地下鉄に乗り込むと、各国のカラーで身をまとったマッチョな選手たちですでに一杯で、オトコだらけの夏のギューギュー詰めの満員電車に、中年オカマの自分はくらくらしてきて、鼻血ぶー寸前(死語)である。 競技場につくと、選手専用口へ向かう選手たちを横目に、何の競技にも参加しない、過去に体育の授業で赤点をとったこともある自分は、一般席へ・・・。 選手入場がはじまるまで、 とりあえず、 ビールよ オリンピックの選手入場は、毎回ギリシャが一番初めと決まっているが、同じようにGay G

ベルサイユのばらを求めて (4)

イメージ
================================ これまでのお話 ベルサイユのばらを求めて (1) - 旅立ち ベルサイユのばらを求めて (2) - モンサンミッシェル ベルサイユのばらを求めて (3) - ロワール渓谷 ================================ かもめはかもめ 孔雀や鳩や ましてや女にはなれない... かもめの飛ぶ空を眺めていると、思わず研ナオコの「かもめはかもめ」を口ずさんでしまう、典型的な昭和のオカマである。 ロワールから北へ戻り、ノルマンディの港町に来ている。 トゥルーヴィルという小さな港町を拠点にして、パリに戻る前に数日間海辺で静かに過ごす計画だ。 トゥルーヴィルの街はあちこちかもめだらけだ。 砂浜沿いの歩道を歩くと、晩年をここで過ごした サヴィニャックのポスターがあちこちに見つけられる。 サヴィニャックもやっぱりかもめばっかり描いてる。 オカマが水着に着替えたら 翌日は早起きをして、パン屋でコーヒーとフランスパンを買い込んでから、ここから1時間程車で行ったところにあるエトルタという町の「絶景」の崖とやらを観に向かった。 地球の歩き方によると、画家のモネは好んでその崖を絵画にし、作家のルブランはここを舞台にアルセーヌ・ルパンの物語「奇巌城」を描いたという。 かわいらしいエトルタの港町に入り、小さな小道を車で上っていくと、その「絶景」の崖に到着だ。 確かに、絶景だわ・・・! 海の向こうはイギリスよ。 こういう崖を見ると、火曜サスペンスか土曜ワイドかなんかの、犯行を告白する最後のシーンめいた気分になってくる、典型的な昭和のオカマである。 崖を降りたら、静かな砂浜。 。 ノルマンディの街を歩くと、はやり魚介の店が目立つ。 元々肉より魚好き中年の自分だが、ずっとフランス飯のこってりしたものばっかり食っていて胃も弱っていたから、あっさりしたシンプルな味付けのノルマンディの魚介料理は特にうれしい。 港町オンフルール 名物のムール貝とフレンチフライ 散歩がてら、魚市場も覗いて

ベルサイユのばらを求めて (3)

イメージ
================================ これまでのお話 ベルサイユのばらを求めて (1) - 旅立ち ベルサイユのばらを求めて (2) - モンサンミッシェル ================================ 趣味は何?と聞かれたならば、若い頃は「海外旅行!」などと胸を張って答えていた自分だが、今となっては、旅行に出れるのも年に1、2回。 しかも"地球の歩き方”に頼りっぱなしなのだがら、情けない。 そんな"地球の歩き方"`によると、モンサンミッシェルから、南へ数時間車で行ったところに、ロワール渓谷と呼ばれるワインの産地があるという。 そして、そんな"地球の歩き方"によると、そのロワール渓谷には古城が点在し、なんと古城に宿泊もできるという。 古城というと、なんとも言えぬロマンを抱くのは、ドラクエ世代の性か、あるいは未だ200年ちょいの歴史しかないアメリカという古城の存在しない国に住んでいる故なのか。 中世ヨーロッパの古城に囲まれながら、フランスワインをたらふく飲めるのならば、アル中中年としては、行くしかないじゃないの。 今回の宿は、この城よ! ドラクエIIIかよっ! (これも"地球の歩き方”に載ってた....) 時差ぼけで早く目覚めたら、城内にあるぶどう畑を歩く。 誰もいない静けさの贅沢さよ。 はやく、大きくな~れ。 あんたきっと美味しいいい男(ワイン)に育つわね。 宿となったマルセイの城から30分弱のところにある、これまた城のワイナリー。 城内でワインテイスティングだよ!ほろ酔いでドラクエ気分。 一方こちらは6世代続いている家族経営のほのぼのしたワイナリー。 うみゃいワインが10ユーロ以下という庶民にもうれしい値段設定。 古い洞窟内に作られたワイナリーも。 流暢な英語を話すハンサムな好青年にサーブしてもらったわ。 ロワール渓谷は、ワインだけではなく、由緒ある城があちこちにあり、渓谷の主要なエリア全体がユネスコの世界遺産に認定されているという。 ワインテイスティングでほろ酔いになったら、 TBS「世界遺産」のテーマ曲 (Sony提供