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少女に何が起こったか

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コーヒーを飲むとすぐに腹をこわすので、仕事中は大抵、緑茶を飲んでいる。 それでも毎日緑茶だと飽きてくるので、時々気分を変えてミントティやらレモンジンジャーティといったハーブティにしたりもしている。 今日は、この間スーパーで安売りをしていた「ホワイトローズティ」とやらと、試してみることにした。 ティーバッグに湯を注ぎ、待つこと5分。 微かに薔薇の香りがしてきた。 "ん、この薔薇のお茶、昔どこかで飲んだぞ?" 香りに誘われ、中年の朧で曖昧な記憶を辿ってみる。 "そうだ、ピアノの先生のうちで、レッスンの前にお菓子と一緒によく出てきたお茶だわ・・・" 中学生、高校生だった頃。 放課後に制服のまま電車に乗り込み、横浜駅からまたバスで数十分行ったところにある、ピアノ教室に通っていた。 先生とのレッスン前に、別室のレッスン室で練習をしていると、毎回美味しいお茶と我が家では食べたこともないようなお菓子を出してくれたものである。 部活もあるし、塾もあるし、友人との付き合いもあるし、でろくに練習もせずにレッスンに臨むと、 「あなた、練習してこなかったでしょ」 と厳しく先生に一蹴され、別室のレッスン室で練習だけして帰ったことも何度とあった。 それでも、吹奏楽部で担当していたオーボエで音大の器楽科に進みたいなどと、途方もない野望を伝えると、 「あなた、絶対音感がないから、大変だろうけど・・・」 と言いながらも、音大受験のための対策をと、つきっきりで夜遅くまで、楽典、聴音、視唱、等のソルフェージュのレッスンをしてくれたのだった。 時には出前の弁当を注文してくれて、レッスン室で遅い夜飯をとったことも何度とある。 今でこそ、友人たちに自分が音大を目指していたなどといったならば、 「あんたは、芸大じゃなくて、ゲイ大目指してたんでしょ?」 などと笑い話になるが、あの頃の若き自分は、N響アワーなどでテレビに映る演奏家のように音楽家になるのを、本気で夢見ていたのである。 しかし、毎日の練習と訓練の日々の中で、自分の才能の無さを知り、結局、オーボエの先生にも、このピアノの先生にも、 「やっぱり無理なので、やめます」 と、あっさり挫折したのだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「今日、本選の結果でるよ!」 と、仕事中に会社の同僚から業務チャットでのメッセージが

心の鍵を壊されても 失くせないものがある

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仕事の繁忙期の山をやっと越えて、久しぶりにゆっくりと週末を過ごしている。 歯を磨きながら久しぶりにしっかりと鏡を覗くと、髪も髭も伸び切り、くまが目立つ肌も荒れ果て、目じりのしわもほうれい線も一段と深くなった、中年オカマの顔があった。 ーこの、新宿2丁目で始発電車を待つ、場末のオカマは誰ぞや? ー嘘・・・。これが、本物のあたし・・・? ーひゃだ、こんなのいつものあたしじゃない・・・ と鏡の前で人知れず一人芝居をうつも、ここ数か月、特にこの数週間は毎日2、3時間睡眠という生活だったから、こんな荒れ果てた枯れた砂漠のような顔をしていても、驚くことではなかったのだった。 せめて髪でも切りに行って若返らなきゃだわ、と数週間ぶりに家の外に出て、歩いて近所の床屋に向かうことにする。 「いらっしゃい~! 生きてた?」 床屋のドアを開けると、いつものベトナム出身のお兄さん(おネエさん)が迎えてくれた。 「昨日まで仕事で死んでたわよ」 とチェアに腰掛けながら答えると、大変だったねぇ、と鏡越しにうつった寝不足で顔色の悪い自分の顔を見ながら、肩を優しくなでてくれたのだった。 日々ジムで身体を鍛え、いつも身体にぴったりとフィットした自作の服(衣装?)を纏っている優しいおネエさんである。 「今日の衣装も素敵だね。自分で作ったんでしょ?」 と問うと、 「もちのろんよ。ほら、マスクも同じ柄の生地で合わせてあるんだから。」 と髪を切っていたハサミを一旦おいて、ファッションモデルのようなポーズをとって、答えてくれた。 仕事中に次はどんな衣装を作ろうかと考えて、仕事がない日に好きな音楽をかけながら、ミシンをかける時間がとても幸せなのだという。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 床屋で髪をきれいにしてもらい、また歩いて家へ向かう。 歩きながら横目で店のショーウィンドウにうつった自分の姿をみると、顔はまだ疲れているが短く整えてもらった髪のおかげで、少しは若返っただろうか。 普段から肌寒い秋のサンフランシスコの日にしては、暖かい日で頬をふれる優しい風と日差しが気持ちよい。 もう何週間も外に出ていなかったから、そんなすべてが久しぶりで久々に生きた心地がしている。 一日中、飯やトイレに行く時間もないほど、ずっとコンピュータの前にすわり、ストレスにされされながら仕事をしていると、心も体も病んでいくのが

失われたラーメンを求めて

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"うぐっ…ラーメンが食いたい…!" ここ数週間、無性に"ラーメン食いたい症"にかかっている。 とは言え、数か月前に受けた健康診断では高血圧が悪化しており、塩分のかたまりと言われるラーメンをむやみに食べるのは躊躇われる哀しき中年である。 しかも、その健康診断では体脂肪率も大幅にアップしており、医者にコロナ太りを正式に認められたばかりであるから、ダイエットの敵と揶揄される愛しのラーメンちゃんとは、縁を切らねばならぬところなのだ。 学生時代には昼に日清のシーフードヌードル、夜にカレーヌードル(どちらも大好物)とひとりでカップ麺祭りをやったり、東京でのサラリーマン時代には、毎晩のように友人や後輩と飲んだ帰りにラーメン屋を渡り歩いても平気だったのだがね。 ーーーーーーーーーーーーーーー この街に住む同年代の日本人の友人達と、毎日のように「今日は何歩歩いてきたわ」とスマホの万歩計表示を送りあったり、「今日は野菜がっつり食べました」となどと飯時の写真をシェアしたりしている。 M男に至っては、ダイエットの効果が確実に出ているらしく、体重の折れ線グラフをわざわざ送ってくるくらいだ。 「あのさ、うちらいつから、こんな健康ばっかりで色気もへったくれもない話してるわけ?」 「お互い40過ぎてるんだから、嫌でも健康に気を使わなきゃ」 と、もはや中年どころか老年の会話であるが、お互いが「健康警察」として見張られているような状態なので、お互いの健康維持にある意味役に立っている。 しかし、そんな「健康警察」仲間の核ともいえる、同業女子のM子でさえも時々、 「プリングルスの緑のやつ、食べちゃったよ」 などと告白してくるので、 「M子ちゃん、たまにだからいいのよぉ。我慢のし過ぎもよくないし!」 と慰めたりする。 健康とジャンクな食欲に揺れ動く、中年心と秋の空である(なんのこっちゃ)。 ーーーーーーーーーーーーー 仕事を終えた日曜の昼。 "そう、たまになら。たまになら、いいよね" となんだかんだ言いながら、結局欲に負けてラーメンを食べに行くこととなった。 とは言え、日本のようにあちこちにラーメン屋があるわけではなく、あってもとんでもない値段で大して美味しくないラーメンを出す店も多い。 そんな時に助かるのが、地元の日本人の情報網である。 前に仕事