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1月, 2022の投稿を表示しています

うつむかず生きるために

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毎日、コロナ禍の運動不足解消にと、仕事の合間にポッドキャストやラジオを聴きながら、散歩をしている。 そんなポッドキャストやラジオ番組の中でも、特に人生相談系を好んで聞いているのだが、今日はそれを歩きながら聴いていて、突然涙があふれ出て止まらなくなったのであった。 若き美しき青年が涙を流していたのならともかく、四十過ぎのおっさん(あたし...)が歩きながら、ひっくひっくと泣いているのは、映像的にもキツいわな。 すれ違ったジョギング中のおばちゃんには不思議顔をされるし、あるいは、すれ違った若いオカマには、"いい年をしたオカマがなんかドラマをやらかしたか?"くらいに、失笑されたような気もする(自意識過剰!)。 さて、その 中年オカマを泣かせた人生相談 というのは、日本の15歳の少年からのお便りであった。 「自分がゲイであることを、親から否定されている」 「孫の顔が見たかった、と言われる」 「認められず苦しくて、涙が止まらない」 「もう死にたい」 そんな相談内容のお便りで、まだ中学生のその少年の心の傷と苦しみを思うと、自分自身の悩める思春期を振り返ってか、あるいは今も心のどこかにある自分の親への申し訳なさが重なったからなのか、中年ゲイの自分も涙せずにいられなかったのであった・・・。 さて、その翌週。 そのポッドキャスト番組には、その15歳の少年の悩みのお便りに対し、リスナーからたくさんの応援メッセージが届いたということで、そのいくつかを紹介していた。 東京に住む会社員や大学生、ニュージーランドのレズビアンの娘を持つ母親の方、スペインに住むトランスジェンダー(MtF)の方等など、日本国内外の人々から、 「同じような辛い経験をしました」 「親に理解してもらえなくても、これからあなたを受け入れてくれる人と絶対に出会えるから」 「今は辛くても、あと数年もして社会に出たら、もっと自由になれるからね」 「今はパートナーを見つけて、幸せに暮らしています」 「だから死なないで!」 と、お互い顔も知らぬ間で、15歳の少年への、彼ら自身の経験を踏まえた心強い応援メッセージだったのだ。 そして、それをまた散歩中に聴いていたもんだから、また思わず涙する中年オカマだよ(涙腺弱すぎて)。 ーーーーーーーーーーー 自分がアメリカに住み始めた頃、或いは今でも、ゲイの仲間たちと酒を飲んで

And Just Like That...

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 「Sex and the Cityの新しいやつ、ぶっちゃけ、どう思う?」 最近、ゲイ仲間や女友達と話していると、大抵、先月から放映が始まったSex and the Cityのリブート版の、And Just Like That...の話になるのだが、 「うちらが期待してたのは、これじゃなかったよね・・・」 「まず、キャリーの言動がキツい。50過ぎて、あれはないわ」 「それを言うなら、シャーロットはもっとヤバい」 「あれはあたしの求めるミランダじゃない」 と、最後にオリジナル版が終了してから20年弱待って、期待しすぎていたのかもしれぬが、皆がっかりで、意気消沈してしまったのが正直な感想である。 それでも、ミランダが白髪を気にしたり、キャリーが腰痛になったり、散歩中にトイレが近くなったりと、時代を風靡したあの頃から20年経った今のありのままの姿に、40過ぎの我々も思わず共感するところは多いにある。 しかし結局、 「やっぱり、サマンサが居ないから、話が締まらないんだよ」 という結論に達するのだがね・・・。 ----------------------------------- Sex and the Cityの登場人物のように、自分も自分の仲間達も、あれから20年歳を重ねたことを身に染みて感じている。 自分も、前々から医者に言われていたことなのだが、血圧が恐ろしく高く、ついに薬に頼ることとなった。 だいぶ前から食事の塩分も酒の量も減らしてきたのだが、どうにも数値が思わしくないので、仕方なくの選択である。 やっぱり運動不足と仕事のストレスかしらん。 眠りも浅いしなぁ。 毎朝、仕事の前に、自分用に買ったオムロンの血圧計を腕に巻き、スイッチを入れると、うぃーん、とうるさい音を立てる。 "あたしも、じじい(ばばあ!)になったもんだわよ" と思わずそんな自分の姿を俯瞰してみると、切ない気がしてくるような、今更開き直ってそうでもないような。 若かった頃は、毎日薬を摂る必要すらなかったか、あるいは摂っていてもそれを人に言うこともなかったが、この年になり、周りの人々にふと薬の話を打ち明けてみたならば、 「それ、自分も同じの40入ってから摂りはじめたわ。何ml?」 「あたしは、婦人系の薬だいぶ前から飲んでるよ」 「抜け毛防止のハゲ薬はね、大きいサイズを処方してもらって、

続・死に至る病、そして (4)

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 「や、やばい~~~!」 元旦の朝っぱらから、我が家のN君がスマホの画面を見ながら叫んだ。 「な、何ごとよ!?」 と問うと、N君の水球チームのメンバーでオミクロン感染者が出たという、緊急メールを受取ったというのだ。 そして、N君は1週間前に水球の練習に参加していたので、濃厚接触者である・・・。 "もう、だから、練習には出ないほうがいいんじゃないの?って、何度も言ってたのに!!!" と一気に怒りが沸いたが、年明け早々に喧嘩をするのも何だか縁起が良くないと、口に出かけた怒りの言葉を飲み込んだ自分である。 ------------------ 自分としては、やはり屋内で人の集まる、ましてやマスクなしで行う水球の練習には、出てほしくないのが本音だ。 しかし、長引くコロナ禍でずっと禁じられていた練習が、数か月前から州も市もワクチン接種者に対してはプール場を開放したことで、再開したものだから、3歳の頃から水泳・水球を生きがいにしているN君に、行くなというのも酷なのだった(甘い!?)。 年末から、同僚や友人の子供がオミクロンに感染したりと、自分の周りでも急激に感染者が増えているのを身近に感じている。 ワクチン済みでも、感染するときはしてしまうようだ。 サンフランシスコに住む日本人の知り合いは、クリスマス前に日本へ戻る便で乗客に感染者が見つかり、同じ便に乗っていた彼女も濃厚接触者ということで、日本に着くなり隔離となり、クリスマスも正月も狭いホテルの部屋で一人で過ごす羽目になったという。 そういや、サンフランシスコの日本領事館でも感染者が出たっていってたよな・・・。 ------------------ さて、取り急ぎ、N君も自分も感染しているかどうかを確認せねばならない。 しかし我が家に買いためてあった検査キットは、年末の家族の集まりやら何やらの前に検査して、使い切ってしまっていた。 というわけで、正月早々、近所の薬局をはしごして簡易検査キットを探したのだが、どこも品切れである。 他にも検査キットを売っていそうな店へ電話して問合せようとしたら、店の人が電話口にでるなり、こちらが質問する前に、検査キットは売り切れです、と言われる始末よ。 ネットで探しても、配達は早くて2週間後、検査場もどこも予約でいっぱいで、1か月待ちのところもある。 これだけ周りで感染者が増えて

霧の港街の静かな元旦 2022

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明けましておめでとうございます。 本年もどうぞ宜しくお願い致します。 --------------------------- 去年に続いて、今年も大層静かな大晦日と正月となった。 例年行われている、サンフランシスコの大晦日の花火大会も、オミクロンの感染拡大で直前に中止となり、結局家でテレビ( CNN系列のゲイの2人 がニューヨークでわーわー言ってたやつ)で各国各地の年明けをみながら、静かに年を越したのだった。 正月も、朝から少々コロナ関連でバタバタしたのだが(これは次の機会に)、お節もどきをつっつきながら、静かに過ぎて行った。 お節といえば、子供の頃、日本に住んでいた頃は全く興味のなかったものである。 しかし、アメリカに越して来てからだろうか、日本に住んでいた頃よりも、今は正月らしい正月を送りたいと思うようになっている。 そして、正月らしい正月となると、やはりお節なのだった。 今回も、 "お節なんぞ、アメリカ人のN君は、喜んで食べるもんでもないし" "でも、家に籠って過ごすのなら、やはり正月っぽく、お節でもつっつきながら、過ごしたいわよね..." "とは言え、自分でお節を作るにはハードルが高すぎる!" "でも、ニジヤ(日系スーパー)のお節は値段が高すぎる!" と、一人で自問自答しながらも、結局ニジヤの一番小さいお節風の総菜をいくつか買ってきて、それっぽい容器に移して、元旦のご飯となった。 味のやたら濃い、とはいえ、しっかり手の込んだスーパーのお節をつっついていると、ふと、我が母が、大晦日よりも前から、台所に一人こもって一品一品準備していたのを思い出す。 今年こそ、日本に帰りたいなぁ。 あと、何回日本の家族の顔を見ることができるのかしらん。 そんな感じで、しみじみと静かに過ごす2022年の正月であった。 ------------------------------- 2022年もこのブログを読んでくれている方も、我が家の家族も、平穏に健康に過ごせますように。 サンフランシスコのニジヤは年末に水道管破裂かなんかで閉まってて、 はるばる車で30分かけて、隣町のニジヤまで行ったわよね・・・ 冷蔵庫の奥に干からびかけたアスパラガスがあったので 胡麻和えにして無理やり食す! 天気の良い元旦となったの