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ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

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今年の年末年始は、特に旅の予定もなく、サンフランシスコで過ごすこととなった。 24日に仕事を納めた後は、 家の大掃除をしたり、日本町の紀伊国屋で買ってきた「きのう何食べた?」の最新刊を、実家から送られてきた薄焼きの塩せんべいをかじりながら読んだり、竹内まりややらユーミンを流しながら、友人たちが年末の旅行写真をインスタグラムなどにのせているのを見たりして、家で静かに過ごしている。 といいながら、結局仕事をしたりもしているのだがね・・・。 我が家の今年のクリスマスツリーも、 Guardsmen のチャリティーで購入。 少々高いが、恵まれない子供たちの未来のためだ。 --------------------------- 先週末は、どこにも行かずサンフランシスコ残留組であるアメリカ人ゲイ友達のE子と、同業者女子友達のM子を誘って、サンフランシスコバレエ団のくるみ割り人形を観てきたわ。 チャイコフスキーの音楽にのせて、雪の舞い散る舞台を踊るバレリーナたち、そして、タイトな衣装に鍛え上げられた身体を惜しげもなくみせつける男たちの美しさよ(みんないいケツしてんのよ)! その日のプログラムの ロシアの踊り や 金平糖の精 は、日本人ダンサーの配役だったのだが、ふたりとも素晴らしくて、あたしも来世はバレリーナになりたい!とか、中年オカマが一瞬本気で思ったわよね・・・。 劇場の外は、雪! (偽物) -------------------------- 大晦日も特に予定のない自分である。 蕎麦でも茹でて、紅白でもみながら静かに過ごそうか、とぼんやり考えている。 ブラジルのリオでジャネイロのビーチで正月を迎えたのが、つい最近かと思うくらい、今年はすべてが急ぎ足で、急かされるように過ごしていた。 2020年というと、なんだかサイエンスフィクションの世界のような気がしてくるが、来年も変わらず平穏に平和に暮らせますように。 そして、家族、友達、これを読んでくれている方々、自分自身が、心身共に健康でいられる年になりますように。

浅い眠りにさすらいながら

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目が覚めて、窓の外を見るとまだ空は暗い。 時計を見ると、まだ夜中の3時45分を指している。 結局そのまま深い眠りに戻れないまま、朝を迎える。 そんな眠りの浅い日々がここのところ続いている。 仕事のストレスか、結婚式準備のストレスか、あるいはその両方か…。 年上の友人に相談したならば、 「あ、それね。歳のせいよ!」 と一蹴されたわ。 元々寝付きも寝起きも良い方だが、毎日こんな睡眠不足が続くと、仕事にも支障が出そうだし、美容にも良くない。 ネットで調べると、浅い眠りには太陽光に当たったり、風呂に入るのが効果的とある。 日本に住んでいた頃ならば、寝る前にゆっくり家の湯船につかるか、あるいはスーパー銭湯でお湯とサウナで(いいオトコたちを眺めながら)癒されるか、はたまた足を伸ばして箱根や伊豆の温泉でも行って、心身共にリフレッシュしたいところである。 「日本にいたなら、温泉にでも行きたいんだけどね」 とN君に漏らしたところ、 「それじゃ週末日帰りで温泉行こう!」 と返事が帰ってきた。 -------------------------------------- サンフランシスコから北へ車で1時間半ほど行ったところに、カリストガという温泉水の出ることで知られる小さな町がある。 温泉と言うと、うっかり日本のものと思ってしまう自分であるが、ここカリフォルニアにも温泉に入れる町がいくつかあるにであった。 とは言え、日本のもくもく湯気のあがる薄暗い温泉のイメージと違って、皆プールのようなところに水着で入るところが多い。 今回行ったカリストガの温泉もそんな場所である。 カリストガは泥風呂でも有名だが、今回は泥を体に塗るコースを頼んでみた。 学校のプールかいな? 個室に入り、エッセンシャルオイルなどを混ぜた泥を3種類の中から1つ選び、身体中にそれを塗りたくったならば、タイルのベッドに横になる。 迷わずストレスを減らすというラベンダーの入った泥を選ぶ自分 真っ裸で泥まみれになって横たわる中年オカマという、奇妙な状態となったが、静かな空間でラベンダーの香りを感じていると、一時ストレスな事柄も忘れてうとうとしてきた。 泥風呂の後は、温泉水を張った湯船に入って身体を温める。

木漏れ日がライスシャワーのように (7)

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==================================================== これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) 木漏れ日がライスシャワーのように (2)  - 家族の心模様 I 木漏れ日がライスシャワーのように (3)  - 家族の心模様 II 木漏れ日がライスシャワーのように (4)  - 家族の心模様 III 木漏れ日がライスシャワーのように (5)  - 場所選びの巻 木漏れ日がライスシャワーのように (6)  - 若草の招待状の巻 ==================================================== 自分が東京で大学生をやっていた頃だから、もう20年近く前だろうか。 当時はフェイスブックやインスタグラム、ましてや携帯での出会い系のアプリなどなかったものだから、多くのゲイは、個人でホームページを作り、そこからネット上で出会いを求めたものである。 自分も大学に入り、入学祝いにと親から自分専用のパソコン(Windows 95!)を買ってもらってからは、学業よりも個人ホームページのアップデートに時間を費やしていた。 日々のどうでもよいことを綴った日記や写真、旅行記、小説(!?)など、今思い出したら恥ずかしい黒歴史である。 ただ、そんな黒歴史の中でも、 "やっぱり、あの頃、ホームページやっててよかったわぁ” と思えるのは、そんな繋がりから出会った友人たちがいることかもしれない。 それから20年たった今でも、自分が日本に帰る度に、新宿二丁目にある居酒屋にあつまり、当時の思い出話やそれぞれの今の人生について語り合える仲間である。 先日、彼らにLINEのグループチャットで、自分の結婚を報告したならば ー当時皆、テレビ東京の”ファッション通信 (C)大内順子"を楽しみに見ていた世代であるからー こんな会話で盛り上がる。 「それで、ウェディングドレスは、どんなオートクチュールのを着るのかしら?」 「やっぱり、氷川きよし様みたいに、派手にやってほしいわよね」 「大映ドラマばりに、堀ちえみと松村雄基の愛憎劇をやってちょうだい。あたしが伊藤かずえやるから。」 と、皆言いたい放題である。

Gay Chorus Deep South

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土曜日の夜。 オカマ7人が集まって街はずれの火鍋の店で、鍋を囲んできゃっきゃ騒ぎながら、肉やら魚介を頬張っていた。 そんな中、 「なんか趣味が欲しいわ。なんか習い事はじめたいわよね。」 と誰かが問うと、 「格闘技とかはじめたい。だって、モテそうじゃない?」 「前、お酒飲みながらタイ料理を習うってクラスを受けたけど、酔っぱらって何も覚えてないわ・・・」 「習い事というか、仕事に役立つ講座は大学でとってたわ? 趣味ではないけど。」 など、様々な答えが返ってくる。 自分も、へたっぴピアノは懲りずに細々やっているが、胸を張って趣味と言えるような趣味ではない。 週末といえば、ジムにいって掃除洗濯をして、酒をひっかけていたら、あっという間に日曜の夜になってんじゃないのよ~。 ----------------------------- 日曜日の朝。 自宅からジムに向かう途中、カストロの映画館の前を通ると、 "Gay Chorus Deep South" となんだか興味深い映画をやっているじゃないの。 どうせ、特に予定もないし、と早速携帯で午後の部のチケットを購入した自分である。 数年前から、米国南部を中心とした一部の州が、宗教上の理由を元にLGBTQの人々の権利を迫害することを一部認めるような動きをしていた。 そんな動きに対して、サンフランシスコのゲイコーラスの300人が、そんな南部の州を旅しながら各地でコンサートを開いた、 ロードムービーのようなドキュメンタリー である。 実の父親に自分がゲイであるということを認められず、それでもその父親の前でゲイのコーラスの一人として舞台に立つ団員。 レズビアンであることを家族や学校の友達に公にできずに、自分の居場所を見つけられない南部の若き少女達。 自分のアイデンティティを探し続ける、トランスジェンダーの団員。 そして、自分がゲイであることを公にしたことで、仕事も家族も失ってしまった、コーラスの音楽監督。 "なぜ、いつまで、彼ら(我ら)はそんな悲しみや悩みを背負って生きていかなければ、ならないのだろう" 日曜の午後、男性合唱の美しい歌声に乗せて、そんな彼らの人生が語られるこのドキュメンタリーを、思

夕日のインクで書いた 出さないままのポストカード

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「あんた、再来週の週末、金曜から3日間、スケジュール開けといてよ。」 と仕事中に、オカマ仲間のM男からLINEでグループチャットが届いた。 「えー、仕事今クソ忙しいから、金曜は仕事休めないわ・・・。その週末なんかあったっけ?」 と返事をすると 「俺は朝の6時から会社行って前倒しで働くから、あんたもなんとか午後半休とれるように何とかして。」 と言う。 同じグループチャットにいた同業者女子のM子に聞いてみると、どうやらM男とアメリカ人ゲイ友達のE子、そしてM子で、自分のために"バチェラーパーティ"と銘打ってパソ・ロブレズへ週末旅行を計画してくれているというのだった。 カリフォルニアのワインといえば、サンフランシスコの北にあるナパやソノマが有名だが、サンフランシスコとロサンゼルスの中間あたりに位置するパソ・ロブレズのワイナリーも地元では良く知られている。 今年の春にN君が、高校時代の親友や水球仲間やらと、「バチェラーパーティ」と銘打って、図体のでかいアメリカ人10人を連れて、日本国内を旅行した際に、自分の友人からは、 「N君は遥々日本でバチェラーパーティしたのに、あんたはしたくないの?」 と何度となく聞かれたのであるが、やはり自分のために何かしてもらうというのが、もうなんだか気も使うし億劫で 「バチェラーパーティとか、そういうの日本の文化にないし、やらない!」 と言い続けてきたのだ。 いや、言い続けてきたつもりであったが、どこかの飲み屋で酔っぱらった勢いで、 「まぁ、もしやるとしたなら、ほんとに気の知れた少人数で海の見える家か自然に囲まれた家でワインでも飲みながら、ぼんやり過ごしたいわねぇ」 などと言ったのかもしれぬ。 それを覚えていてくれたM男やM子が、こうやって企画してくれたのである。 2週間後の金曜午後、仕事もままならぬまま、つけっぱなしのコンピュータと3日分の着替えを旅行カバンに詰め込み、E子の車でワイン畑の街へ向かっていた。 11月のはじめに夏時間が終わったこともあり、車の窓から見える景色が紅葉したぶどう畑に変わったころには、空はすっかり夕焼け色である。 さらにぶどう畑の中を走る小道を抜け、小高い丘をのぼると大きな一軒家-今週末の我らの宿-に到着した。 ポストカー

木漏れ日がライスシャワーのように (6)

==================================================== これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) 木漏れ日がライスシャワーのように (2)  - 家族の心模様 I 木漏れ日がライスシャワーのように (3)  - 家族の心模様 II 木漏れ日がライスシャワーのように (4)  - 家族の心模様 III 木漏れ日がライスシャワーのように (5)  - 会場選びの巻 ==================================================== 夜、寝床につく前の30分。 ネットフリックスの『深夜食堂』を観るのを楽しみにしている。 小林薫演じる定食屋の親父さんのつくる豚汁のシーンと、見慣れた新宿の夜の街のシーンで始まる、そのテレビドラマを観ていると、日本へ無性に帰りたくなるのである。 ゲイカップルの日常と夕飯を描いた『きのう何食べた?』もよかったが、この『深夜食堂』も素朴な雰囲気が好きである(観てると寝る前なのに腹減るわよね)。 ---------------------------- 「今週末までに招待状出すんじゃなかったの? どうなってるの!?」 と、週明け早々にN君の母からN君充てにメールが届いた。 「わー、お母さんにまた怒られる~!!」 と朝からN君と二人で大慌てである。 結婚式の日取りと場所が決まったら、次は招待状を送らねばならない。 しかし、自分は仕事が忙しいのを理由に、N君に任せきりにしていたら、招待状どころか招待客リストもままならない状態だったのだ。 それでなくても、N君側の家族は(よく言えば)仲が良く、なにかあるごとに米国各地に住む家族が集まるものだから、今回の招待客リストもN君家族関係が半分を占めている。(一方、自分の家族は4人だけ。) 「高校時代の友達は必ず呼ぶとして、大学も大学院の友達もいるし、水球のチームメイトも呼びたいし、どうしよ・・・」 などとN君がいうことを全部聞いていたら、予算がいくらあっても足りないじゃないのよ! 「自分も呼びたい人いるけど、予算のこと考えて我慢してるんだから、N君もそういうことちゃんと考えてよ!!」 と既に半分喧嘩状態である。 結局、

朝もやにけむってる 運命の分かれ道

繁忙期の真っただ中。 仕事でミスをし、クライアントに迷惑をかけることになった。 ミスに気づき、すぐに大ボスに報告はしたものの、その前後は夜も眠れぬ程落ち込んだのである。 「えーん。せんせ~。やってもーた。ミスっちゃったよぉ。」 と、社内チャットで毎日のように愚痴を交わし合っている同僚に弱音をはくと、 「お兄さん、誰だってミスはあるし、あたしだってあるし。毎日夜中まで働いてたら、そんなこともあるさ。大丈夫だよ~。」 と優しい一言が返ってきて、何とか心を落ち着かせた自分である。 ミスをしようが落ち込もうが、目の前に溜まっていく仕事たちを捌いていかねばならぬ・・・。 しかし、それでなくても、心身ともに疲れ切っていた中での、凡ミスである。 事あるごとに、 "あー、あの時ああしてれば、こんなミスでなかったよなぁ" "ほかの長年のクライアントにも見切りつけられたらどうしよう" などと、どんどんネガティブ思考に陥ってしまう。 最近、身体もそうだが、心も弱くなった気がしてくる。(人は大人になるたび弱くなるよね? (C)浅香唯) と、歳のせいなの!? ----------------------------------- 朝のベッドで、うだうだとなかなか起き上がれずにいる中、 "このままじゃ、ますます心のどつぼにはまってく。やべーわ・・・" と、なんとか心のスイッチを切り替えられる方法を、ネット検索してみると、 どの記事もページも、口をそろえて、 "適度な運動!太陽光に浴びる!" となどと書いてある。 "んなこと言っても、毎日仕事でオフィスに籠る生活だから、無理だわよ" と早くも匙を投げかけた自分であるが、 他の記事をみていくと、 "いつもより30分起きて、朝活!" などと、朝からヨガやら英会話やらを楽しむ、東京のOLのキラキラした生活が描かれたりしている。 "そういや、M子もK枝、朝早く起きて仕事前にジム行ったりしてるよな・・・” "自分もちょろっといつもより早く起きるくらいなら・・・" "わたしに、できるかしら

木漏れ日がライスシャワーのように (5)

==================================================== これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) 木漏れ日がライスシャワーのように (2)  - 家族の心模様 I 木漏れ日がライスシャワーのように (3)  - 家族の心模様 II 木漏れ日がライスシャワーのように (4) - 家族の心模様 III ==================================================== 「は!? あんた、まだ会場も決めてないの!?」 「いいところは1年以上前から予約しなきゃダメなのよ!? 間に合うの??」 と、それでなくても結婚式そのものを考えただけでストレスだというのに、それに拍車をかけるかのように元同僚女子がプレッシャーをかけてくる。 そう、結婚式の準備の第一の関門は、会場選び(のよう)なのである。 しかし、国際結婚ということで、式を日本であげるかアメリカであげるかをまずは考えねばならない。 同じくアメリカ人と結婚をした会社の同僚日本人女子に相談してみると、彼女は、アメリカと日本の両方で式をあげたとさらりと言っていたが、自分たちにはそんな予算も時間もないわ! 海外旅行をしたこともない我が親のことを考えると、東京のどこかの雅叙園やら椿山荘やらの和式の静かなホテルであげるのが無難だと自分は思うのだが、それでなくても招待客リストが自分の2倍も3倍もあるN君である。招待客のことを考えたら、東京は遠すぎる、地元のサンフランシスコであげたいという。 そもそも、東京のホテルで同性婚があげられるものなのかしらん、とネットで調べてみると、恵比寿の某ホテルで式を挙げようとした同性カップルが、ホテル側から同性であることを理由に断られた等という記事が載っていた(その後、その二人は交渉してそのホテルで式をあげたようだが)。 そんな記事をあちこちでみていたら、ここ(サンフランシスコ)に住みながら、東京での結婚式を準備していくのは、肉体的にも精神的にもかなりきつそう!!と怖気づく自分である。 それじゃぁ、東京とサンフランシスコの間をとってハワイのワイキキで、などという案も出たのだが、仕事のスケジュール上、日取りと照らし合わせると、ハワイは雨季となり

暮れなずむ町の光と影の中 去りゆくあなたへ贈る言葉

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休日出勤の土曜日。 いつもならば霧に覆われているはずのサンフランシスコの8月にしては珍しく、雲ひとつない青空の中、自分はひっそりオフィスに篭って仕事である。 そんな仕事の合間に、携帯でインスタやらフェイスブックを覗いてみたならば、三連休ということもあって、皆あちこち旅行先から楽しそうな写真を載せている。 同業者のM子ちゃんは、カナダのバンクーバー。 オカマ友達のM男は、旦那の実家のミズーリ。 東京のK子は、韓国。 N君は、家族の集まりでシリコンバレーの南のサラトガ。 他の友人共は、ロサンゼルスのテーマパークやら、メキシコのプエルトバジャルタのゲイビーチやらで、それぞれ長い週末を楽しんでいるようだ。 自分と言えば、仕事を終え、そのままひとり家に帰るのもつまらぬと、ジムに寄ってみたけれど、やはりこの連休は皆旅行に出ているのか、人も少なくひっそりとしてたわ・・・。 結局、帰り道にスーパーマーケットに立ち寄って、安い白ワインを買って、汗だくになりながら家に帰ってきたのであった。 ------------------------- 先週の金曜日。 サンフランシスコのダウンタウンで働く日本人ゲイサラリーマンの夜飯の会が、年に何回かあるのだが、そのメンバーの一人であるTさんが、30年住んだアメリカを引き払い、日本に帰るというので、最後にと皆で集まった。 場所は、 「最後なので、カストロで!」 と、Tさんご指定で、オカマのメッカであるカストロに集合である。 Tさんは、自分より10歳くらい年上だろうかー(オカマの世界だから年齢が朧なのよ...)、いつもおされな身のこなしで、バリバリと仕事をこなす、中年オカマ(あたし)の憧れの存在だったのだ。 自分の仕事上での繋がりもあり、サラリーマンの会の外でもお世話になっていたので、今回Tさんから突然「帰国します。」と連絡があったときは、聊かショックだったわよね。 オカマの街のど真ん中にあるイタリア料理の店に集まり、 「東京に帰ったら、日本男児たちに挟まれて通勤で楽しみですね~」 「会社帰りの銭湯で、いい出会いがあるかもしれないわよ~」 などと、皆で冗談を言いながら、イタ飯(昭和!)を

派手な水着はとてもムリよ 若い子には負けるわ!

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「E子、お誕生日おめでとう!」 「おめでと~。んで、いくつになったの? 四捨五入したら50だっけ?」 「失礼しちゃう。まだ、24よ!?」 土曜の朝は、そんなLINEのグループチャットではじまった。 「あんた、週末の朝に6時から起きてる時点で、正真正銘の40過ぎのババアだわよ」 「ひゃだ。あたしがオバさんになったら、あんたもオバさんよ!?」 「若い子には負けるわ!」 まだ朝の6時にもなるかならないかという時間に、今日誕生日を迎えたE子へのお祝いを込めた、40前後の中年オカマたちの会話である。 ---------------- 数週間前、仕事帰りに水球チームのメンバーたちが練習帰りに飲み屋で飲んでいるというので、自分もそれじゃぁと立ち寄ると、20代の若手の選手たちがすでに酔っぱらってカウンターに座って飲んでいた。 「ねえ、どうやったら、運命の男に出会えるか教えて!」 「最近、おでこの生え際が後退し始めた気がするんだけど、どうしよう。」 「今の職場、いいオトコいないから、転職したい・・・」 自分もカウンターの空いていた席に座り、そんな彼らの悩みを聞いていたものの、こんなに外面からも内面からもあふれる若さを生きている彼らが、どんな悩みを吐き出そうと、 「あんたたち、まだ若いんだから、なんとでもなるわよ~」 と、中年オカマの皮肉にしか聞こえぬようなアドバイスしか出てこない自分なのだった・・・。 そして、 「あんたたち、飲み足りないんじゃないの? 今日はあたしのおごりだから、好きな酒頼みな!」 と思わず、大盤振る舞いしてしまうのである。 それにしても、彼らのこの元気の良さは何なのかしらん。 彼らには、どんなに疲れていようとも、どんなに人生を悩んでいようとも、幾らでも乗り越えられるような勢いがあるのである。 -------------- 土曜日の午後。 ソノマで行われる毎年恒例の水球チームのプールパーティへ向かった。 日々ジムに行っても大した運動もしていない自分である。上記のE子の誕生日メッセージのやりとりを終えたあとすぐにジムに行って、ちょっとはあがいてみたけれど、人前で堂々と水着になれるような身体の状態ではない。 ましてや、20代、30代の若き選手たちが派手な水着を着ている中で、ス

風が僕らの前で 急に舵を切ったのを感じた午後

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拝啓 お元気ですか。 自分は久々に南の島に来ています。 --------------------------- ここ数年、サンフランシスコー東京便の値段が、やたらと高くなっている。 今までも、台湾・韓国やカナダ、あるいはLAを経由したほうが安い便はいくらでもあったのだが、歳をとるにつれて長旅がしんどくなってきたので、多少払ってでもできれば直行便で帰りたいと思っている。 そんな中、ハワイ経由で日本に帰る輩が自分の周りに増えていたので、自分も調べてみると、確かに直行便よりハワイ経由のほうが安いじゃないの。 "ん~、経由便はなにかと面倒だけど、ハワイで何日かゆっくりできるなら楽しそうね。安いに越したことはねえしっ!" と、今回の日本行きは、ハワイアン航空のハワイ経由と相成ったのであった。 ----------------------------- 梅雨の羽田からオアフ島ホノルル行の便に乗り込むと、アロハシャツのガタイの良いフライトアテンダント(いいオトコ・・・)が迎えてくれて、仕事やら家族との一件でゆっくりできなかった今回の日本滞在のストレスも、一気に吹き飛んだ自分である。 はじめの数日はホノルルで何も考えずにぼーっと過ごす。 (ビーチと海の見えるオカマバーを行ったり来たりしただけ・・・) ホノルルで数日過ごしたあとは、ハワイ島へ。 ハワイ諸島へ向かう便では、入国の際に記入する書類に、「ハワイに過去に何回来たことがあるか」を問われるのだが、今までハワイ島へは行ったことはなかったのである。 自分の周りの"ハワイ通”は、 「どの島と比べても、ハワイ島が一番よ」 「ハワイ島は、ハワイのパワーを一番感じられて元気になれるの」 「ハワイ島の男達は、朴訥としてていいのよぉ」 等と、皆が口をそろえていうもんだから、 "兎に角、心身共に疲れてる自分をどうにかしたい!" と、サンフランシスコへ戻る前に初のハワイ島訪問となった訳なのだ。 広々とした道路を走る視界に入るのは、溶岩の大地と青空のみ ワイキキに比べたら、どこのビーチも静かで こっそり聖子(渚のバルコニー)を鼻歌しても、誰も気にしない

木漏れ日がライスシャワーのように (4)

==================================================== これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) 木漏れ日がライスシャワーのように (2)  - 家族の心模様 I 木漏れ日がライスシャワーのように (3)  - 家族の心模様 II ==================================================== 6歳年の離れた兄とは、幼い頃は本当に仲が悪く、当時は口を聞いた記憶も殆どないほどだった。 当時の兄は、短ランにボンタンという典型的な恰好で学校に通うという、いわゆる”ヤンキー" (死語?)であった(何度か学校から連絡が入り、母が校長室に呼ばれて行ったこともあったわよ!)。 一方、自分はゲーム・アニメ大好きで吹奏楽部所属という、毎週水曜は湘南で暴走族(もどき)の活動をしていた兄とは正反対の性格だったから、もちろん気が合うはずもなく、兄が家にいるときは、兎に角、兄の気に障らぬよう、殴られぬよう、気を消して生活していたものである。 その後、自分が高校に入る頃には、兄は家を出て、それ以来長いこと顔を合わせることも連絡を取ることもなかった。 「お兄ちゃんのところ、子供できたらしいわ」 大学を卒業し、東京でサラリーマンをしていた時に、母からそんな連絡が入った。 兄がいつのまにやら結婚したことは聞いていたが、兄に子供ができるというニュースは自分のことのようにうれしかったのを覚えている。 そして、それがきっかけとなったのか、あるいは自分も兄もそれなりに年をとり角がとれてきたからなのか、自分が働いていた会社が出していた育児の本を兄のお嫁さんに送ったりしているうちに、兄と自分の関係は、徐々に雪解けとなり、やっと普通に話をすることができるようになったのであった。 その後、兄がその奥さんと離婚したあとも、自分が日本に帰る度に、仕事の都合を合わせて甥っ子や姪っ子をつれて、顔を出してくれている。 -------------------------------- 「兄はどうするの?」 母と妹とランチをしているときに、妹が兄に今回の結婚のことを伝えるのか問うてきた。 「お兄ちゃんには、結婚の事、言わないほうがいいかもしれんね

安心しなよ 君は特別不幸じゃない

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「わ~! こんな美味しい天ぷら、滅多に食べられないから嬉しいです~!」 赤坂見附の駅から数分のところにあるホテル内の天ぷら店で、着慣れないスーツを着て、クライアントとのランチミーティング中、思わずそんなオネエ言葉が出てしまう自分である。 そもそも、日本のビジネスマナーならば、相手の食べるスピードに合わせて自分も箸を進めるべきなのだろうが、滅多に食べられない本物の天ぷらを目の前に、そんなマナーのことなどどっかに吹っ飛んでいたのだった(アメリカじゃ、とんでもねえ天ぷらモドキにしかお目にかかれないの!)。 久々の日本での休暇だというのに、結局仕事に振り回され、東京のホテルに泊まり込み、クライアント先を訪問したり、大手町にある会社の東京オフィスにて通常営業で仕事メールをさばいたりして過ごす毎日である。 予定ならば、家族を連れて箱根や伊豆、あるいはちょっと足を延ばして母が生まれ育った礼文島や、今までずっと訪れてみたかった尾道((C)大林宜彦監督!)などへ小旅行したかったのだが・・・。 ------------------------------- 「日本に帰ったら、食べたいものがありすぎて、一日5食とか食べちゃうわ!」 「住んでた頃は滅多に行かなかったコンビニも、今となっては食べたいものありすぎて、毎日通っちゃう!」 「日本滞在中の予定? 食べに行きたい店をあちこち巡ってたら、他になんかやってる時間ないわよね」 等々、サンフランシスコに住む日本人のオカマ達と、日本滞在の話をしたならば、皆、大抵そんなことを言う。 そして、日本滞在から帰ってきたならば、皆、大抵数キロ体重を増やしている。 ------------------------------ 自分の今回の日本滞在も、 "せっかくの久々の日本の休暇が、仕事でつぶれちゃうなら、せめて旨いもん食って帰らなきゃやってられん!"と、 母を連れて銀座のうなぎ屋でランチをしたり、 古くからの友人と千歳烏山の野菜の美味しいフランス料理の店にいったり、 中学時代の仲間とお墓参りの帰りに横浜で豚肉の旨い店でランチしたり、 鎌倉のお寺さん巡りの合間に、地元の日本酒と蕎麦を頂いたり、 学生時代によく通っていた祐天寺のカレー店で一人でインド飯したり、 六

木漏れ日がライスシャワーのように (3)

================================================= これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) 木漏れ日がライスシャワーのように (2) ================================================= 朝から雨の降り続く土曜日。 傘をさしながら六本木の街を足早に歩き、待ち合わせ場所のイタリア料理の店へ向かった。 「やだ~~~~!!! 久しぶりすぎる!!!」 「あんた、全然変わってない! 年取らない! 化粧水なに使ってんの!?」 と、店についたとたんに、この調子である。 15年以上前、自分が東京からサンフランシスコに引っ越したばかりで、語学学校生をやっていた頃に出会った、同じように当時サンフランシスコで語学学校生をしていた女子たちと、今日は同窓会、兼、女子会だ。 「とりあえず、乾杯しようよ!」 と、広告代理店でバリバリ働き、恋多き女でもあるY子がスパークリングワインのグラスを掲げると、 「あたし、今日はちょっと、お酒辞めとく・・・」 と、アパレルのIT部門を牛耳り、今では一児の母でもある酒豪のK子が言う。 「あんた、まさか・・・!?」 「もしかして?」 「えへ。実は、2人目、妊娠してるかも・・・。 まだ確認はしてないんだけど・・・。」 「ひゃだ! おめでた!?」 「あたし今から薬局言って、検査薬買ってくるから、K子、この店のトイレ借りて、ちょっとチェックしてきなよ!」 と、まるで一昔前のドラマのように大騒ぎである(個室予約しておいて、正解だったわよね・・・)。 「んで、実は自分、N君と結婚することになったんだけどね・・・」 と、そんな騒ぎに乗って、自分も皆に告白すると、 「ひゃだ! おめでとう!!!」 「それで、ご両親は大丈夫だった!?」 という話になるのは自然な流れな訳で。 「父にはそれとなく、何度か話してるんだけど、やっぱりダメだわ・・・。」 K子は、今の旦那と結婚してからもう5年以上になるが、親から大反対されて未だに母親はその旦那と一度も会ってくれていないという。 Y子も、10年程前に日本へ戻ってから出会った男と結婚したものの、家庭の色々な事情があり、離婚し今

渡れる 渡れない あじさい橋

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最後に梅雨時に日本に戻ったのは、いつだったかと思い返してみても思い出せない程、日本の梅雨は久しぶりである。 帰国する度に、先祖の墓参り、そして若くして亡くなった中学の時の同級生と、大学の先輩の墓参りは、時間が許す限りするようにしている。 “本当に遠いところにお墓あるもんねぇ。訪れる方も半日がかりだわよ!” などと口では文句を言いつつも、やはり行ける時にはお参りして挨拶してこなくちゃと思う古い昭和のオカマである。 「いなくなってしまった人たちのこと、時々でいいから思い出してください」 と古いテレビゲームの台詞にもあったが、こうやってお墓を訪れて、元気でいた当時のあれこれを 思い出したり、手を合わせて近況の報告をしたりするのである。 中学の同級生のお墓参りにと、当時の部活仲間の女子達と、神奈川の外れの富士山がきれいに見える街まで、あれこれ昔話をしながら電車で向かっていると、 “卒業した後も、よくみんなで夜遅くに地元に集まって車で鎌倉とか湘南の海に行ったよなぁ” などと、彼女が亡くなる前の頃の時間をふと思い出し、急に湘南の海を見に行きたくなったわ。 そして、翌々日。 ひとり鎌倉行きの電車に揺られていた自分である。 江ノ電の1日乗り放題切符で 鎌倉半日ひとり旅 紫陽花で知られる明月院で 気分はあじさい橋 (c)城之内早苗 京都まで行かずとも 東京から気軽に古都の旅 鎌倉の大仏様にも女学生に混ざって挨拶よ 梅雨とは思えぬ良い天気でありがたい 歩き疲れたら、由比ヶ浜の松原庵で 蕎麦ランチだ 稲村ヶ崎の駅から数分歩けば 湘南の海 日が暮れてきたら海を眺めながら 松の薫る温泉に浸かる 夕暮れの湘南を背に家路へ 20年以上前、まだ大人になりきれぬままの中学時代の仲間と、真っ暗な夜の湘南の波の音を聴きながら砂浜に座り、それぞれの悩みー今となっては本当にそれで人生を悩んでいたのかも分からぬがー、を語り合った。 青春、だったわね! もう会えなくなってから9年経ったけど、愛犬のレオ君とそちらで仲良くやってるかな。 当時の仲間達も自分も、40過ぎてもそれぞ

虹の向こうへ

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朝、会社のエレベーターに乗り込む度に、疲れた顔に伸びきったボサボサの髪の毛の自分が鏡に映り、思わず目をそらす。 弛んで浮腫んだ顔はどうにもならんが、せめて髪でもさっぱりしなきゃと、いつもの床屋に土曜日朝一番で予約を入れた。 そして、土曜日。 床屋のガラス張りのドアを開けたとたん、 「Happy Pride Month!」 と、いつも自分を担当してくれているいつもの陽気なお兄さん(オネエさん?)が、笑顔で迎えてくれた。 「久々に来て見たら、随分いいカラダになったね!」 「あたりまえよぉ、月末のプライドに向けて、バキバキのマッチョにならなきゃ!」 などと担当のお兄さん(オネエさん!)と、たわいもない会話をしながら、久々に訪れたその床屋の店内を見渡すと、花も壁の飾りもすべて虹色である。 今年もこの季節がやってきたのだ。 ——————- 街中が、虹色に染まる6月。 この時だけは、街中が自分たちをサポートしてくれているような心強い気持ちになれる。 いつものスーパーマーケットも 会社の近くの銀行でも ジム帰りの道にある服屋も 東京レインボープライドをはじめ、日本でもそんな動きがどんどん拡大してるという。 自分が十数年前東京で学生やサラリーマンをしながら、こっそり(?)オカマライフを送っていた頃には、思いもしなかった変化が、実際に確実に起こっているようだ。 髪を切った帰り道、そんな事を思いながら虹色の街を歩いていたら、髪だけじゃなく心も軽くなってきたわ! 会社のビルには ニューヨークプライドの広告。 Pride50周年だ。

木漏れ日がライスシャワーのように (2)

================================================= これまでのお話 木漏れ日がライスシャワーのように (1) ================================================= 自分がまだ小学生だった頃。 歳が4歳ほど離れれている妹と、絵や物語を一緒に描いたり、 母の化粧台の鏡の前でアイドル(おニャン子)のマネをして歌ったりと、 仲良くしていた記憶もあるが、 それよりも、自分がその妹に対して、訳もなく意地悪をしていた記憶のほうが多く残っている。 今、当時を振り返ると、そんなダメな兄に対して、子供の頃から、自分よりよっぽど大人な対応をしてくれていた妹だったと今頃になって気づく自分である。 当時は、一人っ子の同級生を、なんとなくうらやましく思っていたこともあったが、 今は、兄弟(姉妹?)がいることのありがたみをひしひしと感じている・・・。 ---------------------------- 「やっぱり、父ちゃん難しいかもしれん!」 残業を終えて、家路に着くべくUberに乗り込むと、妹からLINEが入った。 自分がゲイであることや、N君と結婚することなどを、度々我が妹に相談してきたのだが、今回の結婚式の件については、父が難色を示しているというのである。 以前、母に電話で相談したときは、 「あんたたちが日取り決めたら、どこだって行くよ。 パパには、話してみるからね。大丈夫でしょ。」 と言っていたのだが、実際には想像以上に父が同性婚を受け付けられないでいるようなのだ。 以前は、時々父から、 "仕事は大丈夫か~? 無理しないで頑張れよ~” などと、LINEが時々届いていたのだが、 結婚の相談を家族にし始めた頃からか、父から直接連絡がくることはなくなっている。 オカマ仲間や日本人の同僚に相談すると、 「そりゃ、アメリカと違って、日本だもの。同性婚なんて、うちらの親の世代じゃ、理解しろっていったって無理な話よぉ」 「同性婚ってだけでも、ハードル高いのに、70、80の歳の親にアメリカに遥々来てもらうのも、大変な話だよ」 と真っ当な答えが返ってきた。 自分としても、自分がゲイであり、そんな自分が結婚式