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出会った頃はこんな日が来るとは思わずにいた

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「ちょっと、あんた! 芸能ニュース、見た?」 仕事中に、元同僚女子から携帯にメッセージが入った。 "何よ、仕事でそれどころじゃねーわよ" と、既読のまま放置していると、 「貴理子、24歳年下旦那に捨てられたって!」「離婚理由、旦那が子供が欲しいからだって。」「ありえん!」「貴理子、55歳よ!」「ってか、他人事と思えないわ。」「現実味がありすぎて・・恐怖・・・」 と矢継ぎ早にメッセージが続く。 確かに、この元同僚女子も、旦那との間に子供がおらず、他人事じゃないのかもしれない。 そういえば、前読んだニュース記事でも、相手への愛想はとっくに尽かしたが、子供がいるから別れないでいられるという、夫婦も多いと書いてあったわよね・・・。 ゲイの世界でも、運よく相手を見つけたとしても、殆どの場合子供を持たないから、そうった拘束力がなくーもちろんそれだけが理由ではないだろうがー、結局別れに至るカップルは多い。 自分もそんなことを考えながら、 「確かに、他人事と思えないわ・・・」 と、やたらと動揺しているこの元同僚女子に、返事を返したのであった。 -------------------- 同じく日本人ゲイでサンフランシスコに住む方のブログを、毎日楽しみに読んでいるのだが、その方とアメリカ人の旦那さんは、23年も長く続いていて、ついこの間も素敵な結婚記念日の写真を載せていた。 飲み仲間のM男も、旦那さんと、ぶーぶー文句は言いながらも、15年近く一緒だ。もっといいオトコとやりたい~などと、酔っぱらった勢いで下品なことを叫ぶM男だが、いつも旦那や旦那の家族のことを思いやっている言動を横でみてきたから、この2人が長く続いているのも、理解できる。 やっぱり、自分が倒れた時や死ぬ時は、長年を連れ添った相手に横にいてもらいたいよなぁ、と急に心細くなる40過ぎの中年オカマの自分である。 ---------------------------- 自分が通っているジムの向かいに、新しくできた ドイツソーセージとビールの店 で、仕事帰りにガーリックソーセージをつまみに、ビールを飲んでいたら、東京の同年代オカマのK子からLINEが入った。 「今日は23歳とデート。てへ!」 なんだか思わず、イラっとして 「ねぇ、あ

不意に悲しみはやってくるけど 仲良くやってみせるわ

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「ちょっと、どうしちゃったの!?」 片足を引きずりながら、カストロの飲み屋の入り口に現れた自分を見つけて、オカマ飲み仲間のK枝が声を上げた。 「今、家から歩いてくる途中に、突然すっころんで足とんでもない方向にひねっちゃったのよぉ。もうなんなの・・・」 日曜の夕方、たくさんの男達が集まるバーの中を、爺さん(婆さん?)のように足を引きずり歩く、情けない中年オカマの自分よ。 最近、仕事や例の結婚式のあれこれやら、家の中でも外でもストレスが続いているからか、血圧もうなぎ上りで、漬物石でも置いたかのように胸のあたりが重く、せめて血圧下げるために運動しましょと家から飲み屋に向かって歩いてきたら、この始末である・・・。 とりあえず頼んだジントニックの氷を、ひねった足の靴下に忍ばせて、応急処置をするも、向かいに座っていたいいオトコ達が、このオカマは何やってんだか、と冷たい視線だった気がするわよね(被害妄想)。 「そういえば、この間久しぶりに鍼うってもらってきたけど、身体の痛みなくなって調子よくなったよ。あなたもその足引きずって、行って来たらどう?」 とK枝から提案を受けるも、この40年の人生で一度も鍼や灸を経験したことがなく、ましてや注射針など見るのも苦手な自分である。 「いやよ、あたし針とか、こわいもん・・・」 「40過ぎたババアが、何言ってんの。身体の痛みだけじゃなくて、血圧やストレス、鬱々とした気分にも効くらしいよ~」 --------------------------------------------- 翌週の土曜日。 怒涛の1週間の仕事のストレスで、睡眠もままならないげっそりした顔で、今だに痛む足をひきずって、K枝のすすめる鍼治療院を訪れた。 とにかく身体中、心身が弱っている気がして、藁をもすがる気持ちでの決断である。 扉を開くと優しそうな日本人の女の先生の迎えられた。 「まずは、脈を診させてくださいね。 ・・・ ・・・・ ・・・・・相当元気がなくなってますね。身体が生きる勢いをなくして、どうでもいい~と思っちゃってるみたい。睡眠もちゃんととれていないです。」 "ひゃだ。脈だけで、そこまで見破られるの?” 確かに、ここ数週間のあまりのストレスに、睡眠不足もそうだが、とにかく心に元気

木漏れ日がライスシャワーのように (1)

20年前、日本で学生をしていた頃。 高校時代の仲間に誘われて、大学での授業の無い週末は横浜の桜木町のとあるホテルでアルバイトをしていた。 真っ白なジャケットに黒のだぶついたパンツという、なんだかあか抜けないホテルの制服を着て、イベント会場のウェイターとして、一日中、立ちっぱなしで汗ぐっしょりで働いていたのも、今となっては懐かしい。 現天皇陛下と皇后がチャリティイベントに参加された時も、ワインサーブ担当として会場を立ち回っていたのであるが、その日の事は「雅子様、美しい・・・!(それにしても皇太子と比べて背がお高い・・・失礼)」くらいにしか覚えていないあたしよ・・・。 そんな特殊なイベント要員として駆り出されるのは稀で、殆どの週末は結婚披露宴でのウェイターとして、食事や飲み物、時には照明担当として、裏方で多くの若きカップルの門出を見守ってきたのである。 "わー! なんて素敵な結婚式・・・!" などと新郎新婦が両親に感謝のメッセージを読む姿に、照明を当てながら暗がりで密かに涙する度に、 その当時は、もう自分がゲイだと認識していたから、 ”まあ、自分はゲイだから、こういう機会も一生ないのよね・・・、ふん。" などと卑屈になっていたし、度々垣間見てきた結婚披露宴の舞台裏のストレスも無縁なものだと思っていたのである。 --------------------- 「結婚式、どうしよっか!」 とある週末の朝、昨夜残り物を卵で炒ったものをつっついていたら、突然N君が言い出した。 「え?」 N君から結婚を申し込まれてから1年が経ち、自分は結婚式などせず、多くのゲイカップルがするように、いずれサンフランシスコの市庁舎で紙ぺらに署名するだけだと思っていたものだから、思わず言葉に詰まる。 「サンフランシスコでもいいけど、ハワイや東京で結婚披露宴するのもいいよねぇ。 仕事の繁忙期が過ぎた時期を考えたら来年の1月かな?  でも1月だとハワイも東京も天気悪いし・・・。 でも、サンフランシスコは高いよねぇ。」 などと、でかい図体に似合わない乙女な発言を次々繰り広げる暴走気味のN君。 「ちょちょちょ、ちょっと待って!!!  うちら結婚披露宴なんて、やるの!?  市庁舎でサインだけでい