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MILK - ミルク

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サンクスギビングの4連休は、パームスプリングスで過ごした。 ロサンゼルスから車で東に2時間弱行ったところにある、砂漠のど真ん中にあるような街である。 ゲイの人々のリタイア後の街としても知られ、右をみても左をみても街中がオカマだらけなのよ。 「ねぇ、ここのバー、ジジイばっかりでつまらない。いい男一人もいないじゃない!」 「あんた、そんなこと言ったって、うちらだって若い子からみたいら、ジジイだわよ?」 「ジジイっつーか、ババアだよ、あんたは!」 自分と同じタイミングで、テニス仲間と遊びに来ていたK枝と、そのパームスプリングスのダウンタウンにあるゲイバーで、周りのオトコ達を物色しながら、酒をひっかけながら、いつもと同じやりとり。 「でもさぁ、あそこに座ってるおじ様達も、若いときがあった訳で。彼らの若いときは、うちら以上に、ゲイとして生きていくの大変だったはずよ」 「ほんとだねぇ。彼らの世代が若いときゲイの権利を訴え続けてくれたおかげで、今のうちらの自由があるんだもんねぇ」 もう11月も終わるというのに、日中はショートパンツにタンクトップでも気持ちが良い夏のような気候である。 確かに平均年齢の高い街だが、そこに住む人も優しく、ロサンゼルスやラスベガスとはまた違った居心地の良さがある街だったのだ。 朝からプールサイドで一杯ひっかけるアル中のあたしです。 砂漠のど真ん中に突然現れる風車群 K枝の友達の所有する家にお邪魔して、日が沈むのをみながら また一杯ひっかけるアル中のあたしです。 遠くの岩山と夕焼け色に染まった雲の美しさよ。 オカマバーに行ってみたら、下品なゲームが。。。 中央の穴におもちゃの鉄砲で当てたら景品がもらえるらしい。。。 ---------------------------- 1978年11月27日。ちょうど40年前の今日。 この国ではじめて、ゲイであることをオープンにしながら市議会議員に選ばれた、ハーヴィー・ミルクが銃で殺された日である。 以前も書いたが、彼はサンフランシスコのゲイの街カストロの「市長」と呼ばれ、LGBTの自由と権利の為に尽力した人であった。 彼が亡くなって30年後の2008年の11月には、ショーン・ペン主演の「MILK

中間選挙

長いことこの国に非米国人として住んでいると、仕事でのネットワーキングや友達のハウスパーティ等の場で、 「何年アメリカに住んでいるの」 と度々聞かれるシーンに出くわすものである。 自分は運よく、学生ビザから就労ビザに移行して、今の会社のスポンサーでグリーンカードを取得することができ、十数年この国に住んでいる。 しかし、例えどれだけ長くこの国に住み、グリーンカードを取得して、どんな仕事をしていようがいまいが、この国に住む権利を得たとしても、取得しえない権利がある。 それが「投票権」なのである。 "トランプ大統領の誕生”から2年が経ち、つい先日その中間結果を知るすべともいえる「中間選挙」が行われた。 グリーンカードを持ちながらも市民権をもたない自分は、投票権はないのだが、一方で2年前の大統領選に投票できずに地団駄を踏んだまわりの日本人の知り合いの中には、今回こそはとアメリカ市民権を取得して、今回の投票に臨んだ人々がいる。 いつもの同業者仲間のM子ちゃんも、そのうちの一人だ。 --------------------------- 「うちでワインでも飲みながら、中間投票の結果をみんなで観ようよ!」 と、いつもの飲み友達のアメリカ人ゲイのE子の提案で、皆でテレビを囲んで中間投票の結果を見守っていた。 我らが民主党が優勢と言われていた下院も、一時は共和党が大多数を占め、冷や汗をかいたが、はやり西側の開票が進むにつれて民主党が盛り返し、結果、下院は民主の勝利となった。 それにしても、なんともわかりやすい程にこの国は政治的に二分されているんかしらん。 中部は共和党の赤に染まり、カリフォルニアや、ニューヨークといった海岸沿い都市部は民主党の青である。 日本ほどの低投票率ではないものの、アメリカでも若者の投票放棄が問題になっていて、投票日前には、著名人たちが、VOTE!!とインスタグラムやフェイスブックで訴えてったわ。 ------------------------- さて、当日の上院下院の投票以外に注目されるのが、州・市のプロポジションである。 - マリファナ事業者に追加的に税を課す - 湾岸のエリアに地震・津波に対する補強工事に予算を追加する -

幸せかい 傷ついてるかい あの日の夢を生きているかい

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"なんで、あたし、こんな好きでもない仕事して、こんな生活毎日続けてるんだっけ。しかもこんな異国で...." 朝、目が覚めて、会社に行くのが本当に億劫で、ついそんな思考が頭から離れなくなる。 "とはいえ、この年で今の仕事捨てて、新しい職探すのもねぇ...." と自分に言い聞かせて、なんとか起き上がり、毎日電車に揺られて会社へ向かうのである。 ------------------------------------ 「大江千里がサンフランシスコに来るんだって!?」 ロサンゼルスに住むA子から、仕事中にメッセージが入った。 ネットで調べてみると、どうやらサンフランシスコから南に少し行ったシリコンバレーで、ジャズピアノの夕べを開くようなのだ。 「大江千里といえば、"格好悪いふられ方"だよねぇ」 「昔、"山田邦子のやまだかつてないテレビ"とか、出てたのよく観てたわ」 「あたし、実は彼のこと結構タイプだったのよぉ。あの眼鏡がたまらん!」 などと、仲間内でLINE上ひとしきりバブル全盛な日本の思い出を懐かしんだ後、 "確かに、ワイン片手に、大江千里氏のジャズピアノなんて、なんだか素敵じゃないの!" と相成り、はるばるLAからやってきたA子とその相方のM君と、自分のオカマ計3人で、大江千里氏のジャズの夕べに向かったのであった。 ----------------------------------- はりきりすぎて、早々会場についたので、思わず堂々と一番前の席を陣取ってしまう中年ばばあ丸出しの3人である。 大江氏は舞台に登場するなり、ピアノにも触れずに彼が日本で活躍していたポップスの分野を捨てて、ジャズの世界に入った経緯を、語り始める。 四十代後半になってから、日本での仕事を捨ててニューヨークに移住し、昔から好きだったジャズの勉強のために音楽学校に入った大江氏が、言葉や文化の壁もものともせず、身体を壊すまでジャズに没頭する日々。 そしてその彼が今、そのジャズを極めて、目の前で、にこにこと彼自身が楽しむようピアノを弾くその姿に、目が離せない3人だったのだ。 同じように、と言っては烏滸がましいが、日本での仕事を捨て

ベルサイユのばらを求めて (6)

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================================ これまでのお話 ベルサイユのばらを求めて (1) - 旅立ち ベルサイユのばらを求めて (2) - モンサンミッシェル ベルサイユのばらを求めて (3) - ロワール渓谷 ベルサイユのばらを求めて (4) - ノルマンディ海岸 ベルサイユのばらを求めて (5) - Gay Games in Paris ================================ 「それで、ベルサイユはどうだったのよ」 「結局ベルサイユ行かなかったの。 パリから電車ですぐだからいつでも行けるわとか余裕ぶっこいてたら、 行きそびれたわ!」 「なによ、オスカルにもアンドレにも会えなかったってわけね」 「 パリにもオスカルやアンドレのような美しい人はいっぱいいたけど ね(ぐふふ)」 というわけで、タイトルに「ベルサイユのばらを求めて」と豪語していたのにも関わらず、結局今回はベルサイユ宮殿には訪れることはなかったのだった。 ベルサイユは次のフランス旅行までとっときましょ、ってことで。 それにしても、20年ぶりの夏のフランスは、20年前の夏と変わらず、やはり 美しいところであった。 旅行から帰ってきたら、早々更新しようと思っていた旅行記も、 仕事が忙しいのを言い訳に、後回しにしていたら、 もう11月になっている。 携帯に収められた写真たちを眺めながら、 遠く霞む夏の思い出を懐かしんでいる。 オンフルールにある作曲家エリックサティの家には、白いヤマハのピアノが アンボワースでは、ダヴィンチの家を訪れ アンボワース城の彼のお墓にも立ち寄った 印象派画家モネの庭園は花々が美しかった! その後パリのオランジュリー美術館で彼の「睡蓮」の連作も鑑賞 フランス最終日は、部屋からエッフェル塔が目の前に見えるホテルで、旅程を振り返る 田舎者根性丸出しのオカマです 今回の旅の最後の晩餐は、会社の上司が野菜が美味しいとおすすめのこの店 アルページュ Arpege Restaurant だ ネットフリックスの「Chef's Table」も観て予習してきたの