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瑠璃色の地球

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2019年は、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸で迎えた。 5! 4! 3! 2! 1! と、ブラジルの若者に混ざって、皆で白いシャツを来て、カウントダウン。 そして、年明けと共に、コパカバーナの砂浜では大きな花火が次々と空に打ち上げられていった。 「明けまして、おめでとう!」 「今年もよろしく!」 「今年はストレスなく健康な1年になりますように!」 「今年こそいいオトコに出逢えますように!」 ポルトガル語で年明けを祝う大勢の人々の中で、日本人中年オヤジ(オカマ)の4人は、こっそり日本語で新年の挨拶を交わした。 ビーチに設置されたスピーカーからは、ラテンの陽気な音楽が流れていて、白いシャツやドレスを着ている人々の服は、花火の色を反射して、絶えず色を変えてゆく。 ひっそりと静かに年を越す、日本の正月が一番好きだが、たまには地球の裏側でこんなラテンのノリでの年越しもいいかもしれない。 「あんた、起きて! 初日の出、見に行こ!」 「・・・ちょっと、あんた、まだ3時間も寝てないじゃないよぉ」 「あんた、初日の出、ちゃんと拝んでおいたら、今年いいことあるわよ!!」 翌朝、K子にたたき起こされ、2人してホテルを抜け出して、数ブロック先のビーチまで初日の出観測となった。 夜明けの来ない夜はないさ、あなたがぽつり言うー 2年前のエジプトのナイル川での初日の出の時 と変わらず、思わず聖子の「瑠璃色の地球」を口ずさむ。 今年もよい1年になりますように!

たしかなこと

2018年も何とか無事に終わろうとしている。 結局、最後の最後まで仕事でバタバタとしてしまい、年越し前の家の大掃除もちゃんと出来なかった。 それでも、仕事の合間に、親しい友達との忘年会と称した食事会や、仕事場でのパーティなども参加でき、良い年末を過ごすことができたかしら、と思う。 「あたし、来年はイライラしない、怒らない、をテーマに生きるわ! 美輪明宏先生目指すの!」 老人ホームのようないつものカフェで、いつもの仲間と忘年会(ただのお茶会)をしていたら、突然女子のBちゃん(熟女)が言い出した。 自分も、去年の年末は、 "2018年は、人に感謝を伝える、ありがとうと口に出して言う" を目標にかかげて、実際に、なるべく「ありがとう」と言うようにしてきたつもりだ。 ただ、その一方で"ありがとう"を言わない人たちが大勢いることに気づいて、逆にイライラばかりしていたのだ(めんどくさい、オカマね)。 「Bちゃん、あんたそんなこと言って、変な宗教とかにはまらないでよ~?」 などとその場ではみんなで茶化したけれど、自分も2019年は、日々平穏な心でいることを心掛けよう、と思ったのだった。 そして、家族、友達、これを読んでくれている方々、自分自身が、心身共に健康でいられますように! ---------------------- さて、これから空港に向かい、 年末年始、目指すは人生初の南アメリカ大陸、 ブラジル・アルゼンチンだ!

出逢いはスローモーション (7)

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================== これまでのお話 出逢いはスローモーション (1) 出逢いはスローモーション (2) 出逢いはスローモーション (3) 出逢いはスローモーション (4) 出逢いはスローモーション (5) 出逢いはスローモーション (6) ================== "やばい、バスに間に合わねええ!!" と、平日の朝からバタバタ家を飛び出すと、マンション入口の郵便受けの下に荷物が届いているのが目に入った。 日本菓子か何かの段ボールだったので、すぐにうちの実家の母から送られてきたものだとわかる。 "えーと、荷物を抱えて、一度家にも戻ろうかすら、あるいはこのまま、夜、会社から戻ってくるまでここに置いておこうかすら" と数秒考えたが、ここに放置しておいて万が一誰かに盗まれでもしたら(だれも日本語で書かれた訳の分からぬ段ボールなどもっていかないだろうが)、とバスはやりすごすことにして、荷物を抱えて家に戻ることにした。 次のバスのスケジュールを携帯で確認すると、まだ時間があるので、その段ボールを開けて中身をみてみることにする。 箱の中にはいつものように、粉末状の緑茶やら薄焼き煎餅やらフリーズドライの味噌汁やら鎌倉名物の鳩サブレーやらが詰められていた。 "こうやってわざわざ日本からアメリカまで荷物を送ってもらえるのも、母ちゃんが元気でいてくれる間。永遠に続くものじゃないのよね・・・” としみじみその有難さに感謝していると、 煎餅やらなにやらに混じって、小さい紙袋が2つ入っているのに気が付いた。 その小さな紙袋には、それぞれ「弘明寺」とかかれたお守りが入っていたのだったー。 ------------------------------ 1年前の冬。 久しぶりにクリスマスに日本に帰った。 実家で数日過ごしたあと、大阪、奈良、高野山、東京と旅行したのであるが、大阪からはN君が合流し、十数年前にN君が英語教師として住んでいた奈良の村などを一緒に訪れたりしたのである。 アメリカに戻る前には、新宿の天ぷら屋で妹夫婦にN君を紹介したのだが、妹夫婦も普通に接してくれて、安堵したのを今もよく覚えている。 その翌日、アメリ

少し元気失くしてるあなたにも 心いやす言葉を探している

フロリダのオーランドの空港で、サンフランシスコに戻る便を待っている。 この1週間、ここオーランドで仕事関係のカンファレンスに参加していたのだ。 アメリカに十何年も住んでいても、未だに人前で英語で話すのが苦手なので、この手のカンファレンスは本当に苦痛でしかない。 自己紹介からはじまって、グループディスカッションだの、ケーススタディだのを、アメリカ各地から集まってきた見も知らずの人達と、1週間も毎日やるなんて、考えただけで腹が痛くなるわ! と、もう数か月前から参加日が近づくにつれて、食欲もなくなるほどのストレスを感じていた訳なのだ。 そんなカンファレンスとトレーニング漬けの1週間も、気が付けば何とか無事に終え(ストレスで大分痩せたかしら・・・)、1週間溜まっている通常業務の仕事はとりあえず忘れたふりをして、空港のバーで一杯ひっかけてる。 ------------------ "できごとより、考えのほうがこわい" と、最近読んだ角田光代氏の「さがしもの」という本に書いてあった。 実際にできごとが起こるよりも、そうなることを恐れて心配したり不安になったりする「考え」のほうが、よっぽどこわいというのである。 "できるだけ考えないようにする。目先のことをひとつずつ片づけていくようにする。 そうすると、いつのまにかできごとは終わり、去って、記憶の底に沈殿しているー" 確かに、カンファレンスの発表で失敗したらどうしようといった目先のやわな心配事も、日々の人間関係や仕事の事も、将来・老後のことを色々考えて不安になるような事も、なんでも色々先立って考えてしまうのが悪いのだ。 実際に起こってしまえば、大抵のことは、考えていたよりもあっさりと済んでいくということは、40年生きてきて経験で分かっているのに。 「もうこの仕事ほんとに無理!!!終わんねえ!!!」 と社内のチャットで同僚の日本人に叫んでみたならば、 「無理だけど、今は、目の前のあるものを、1個1個終わらせていけば、いつのまにか終わってから大丈夫だよ~」 と同僚からさらりと悟りを開いたような返事が返ってきたわよ。 「どうしよう! 最近付き合い始めた彼と、今後う

懐かしさの一歩手前で こみ上げる苦い思い出に

日曜の朝。 どうせ汗をかくから、と顔も洗わずシャワーも浴びずに家を出て、ジムへ向かって歩いていると、反対側から見覚えのある顔の男が向かって歩いてくる。 もう10年近く前に付き合っていたアメリカ人の男である。 「偶然! 久しぶり。 元気だった?」 「クリスマス休みは旅行でも行くの?」 「特に予定ないから、ここにいると思う」 「よい年末を!」 「よい年末を!」 などと、ほんの一瞬の他愛もない会話を交わし、軽くハグした後、お互い別の方向へ向かってまた、歩き出す。 東京ラブストーリーのリカじゃないが、背後に小さくなっていく彼の姿をちらっと振り返ってみる。 ある程度の期間を一緒に過ごした相手ではあるが、今となっては何の未練もない。 しかし、久しぶりに見るその懐かしい姿に、当時の記憶がよみがったのである。 ある程度の期間を一緒に過ごしたその男との別れは、その当時は本当に精神的につらいものがあって、すぐにフィリピン人の新しい男(若いかわいい子!)を見つけた彼と、しばらく独り身のままの自分との間の溝は深く、もう彼の顔など二度と見たくない!等と思ったこともあったかもしれない。 しかし、別れから10年も経つと、そんな恨みつらみよりも、 "しばらく見ないうちに、大分痩せたけど、大きな病気でもしたのかしらん" "その後、フィリピン人の彼とは別れたと風の噂に聞いたけど、クリスマスは一人でさみしくしてないかしらん" と、相手の心配をしている自分である。 「久々に、昔付き合ってた、Jとディナーしてきたんだけどさ」 と同業のM子ちゃんも、最近、昔の男とただの友達として食事をしてきたという。 「当時なんで、この変な男と付き合おうと思ったのかも、思い出せないんだけど!」 「若いときの男選びって、そういう過ちを犯すもんなのよぉ!」 と言って二人で爆笑したのだった。 ただ、自分もM子ちゃんも、過去の男たちとどんな別れ方をしようが、ただ、彼らがどこかで幸せに過ごしてくれていればいい、と願うのである。