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希望のうた

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今年の年末は、どこへ行く予定もないし、静かに過ごせるかね、と思っていた。 しかし、仕事納め後も、仕事でオフィスに行ったり、後回しにしていた衣類の断捨離やら大掃除やらをしたりで、結局慌ただしく過ごすこととなった。 そして、気がつけばもう大晦日。 今日は、やっと一息ついて静かに過ごせそうである。(といいつつ、朝一番で同業女子のM子と一緒に日系スーパーのニジヤに正月の買い出しに行ってきたのですがね…) 朝から雨のサンフランシスコで、うちも外もなんだか薄暗いが、気分だけでも明るくしましょうかねと、もうクリスマスも過ぎたというのに、クリスマスツリーの明かりをつけている。 そんな中、日本の家族や友人からは、LINEで紅白歌合戦の実況中継(結局、明菜は出なかったのね…)の後、新年の挨拶が届き始めた。 2022年は、相変わらず仕事はストレスでしかないものの、休みをもらって夏にはヨーロッパも行けたし、先月には4年弱ぶりに日本に行って家族にも長年の友人達にも会えたし(日本旅行については次の機会にまたこのブログで…)、こうやって振り返ってみると、今年はなかなか良い1年だったなぁ、と改めてありがたく思う。 一方で、日本での滞在中には、人間ドックも受けて色々と診断され(これについても、次の機会に(汗)…)、健康であることがいかに大事かを改めて感じている。 40も半ばとなると、サンフランシスコの同年代の友人とも、日本で会った友人達とも、健康話があれば、病気自慢もあったりする。 「うちらも、どんだけババアになったのよね」 と、健康話ばかりしていると、そんな台詞が聞こえてくるが、健康じゃなきゃ、行きたいところにも行けないし、会いたい人にも会えないし、食べたいものも食べられなくなるしね、ということで毎回話が収まるのである。 ということで、これを読んで下さっている方も、家族も友人も、そして自分自身も、2023年も健康第一で良い1年になりますように! 大晦日の昼飯は、年越し蕎麦とニジヤで買ってきた海老かき揚げ。 今回の日本滞在時に直島で購入した直島の塩でかき揚げを食すとうまし。 なんでも美味しいと食べれることの幸せよ。

夏は遠く霞むけど - ニューヨーク弾丸旅行

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気がつけば、12月。 気がつけば、今年もあと2日で終わり。 歳を取れば取るほど、時が経つのが早くなる、とは言ったもので、それを毎年痛感している。 今年は、ポッドキャストにはまってしまい、ブログ更新が疎かになってしまいました…。 夏のイタリア旅行記も中途半端なまま放置されていたので、今日大掃除の後、急いで終わらせたわよね。 この秋は、3年半ぶりに日本へ帰って、良い旅となったので、それについてはまた改めて来年早々に書くことにしつつ・・・。 そして、今年の8月には、ニューヨークにも1人で弾丸旅行をしてきたので、これについては、年が明ける前に(ぎりぎり!)ここに備忘録も兼ねて加えておこうかと思った訳である。 さて、レッドアイでサンフランシスコからニューヨークへ飛び、2泊3日の強行スケジュールに臨んだのは、久石譲さんがスタジオジブリの音楽をテーマにしたコンサートを開くと聞いたからである。 久石譲と言えば、自分が幼かった頃に妹と一緒に、母に連れられて映画館で横浜の映画館で「天空の城ラピュタ」を観たのがきっかけで、それ以来、ジブリ映画はもちろん、大林宣彦監督や北野武監督や映画音楽を担当された久石氏の音楽にのめりこんだのだった。 自分がピアノに興味を持ったのも、久石譲の音楽の影響だと思うわ! ということで、 久石譲さんももうお年ですし(失礼)、 自分も年だし、 これまた、いつ久石譲さんが指揮をする久石譲さんの音楽を生で聴くことができるチャンスがあるのかと思ったら、思わずコンサートのチケット、ぽっちっと購入して行ってきたわよ。 ニューヨークに来るとワクワクするわな。 いつかニューヨークに住んでみたい、と思いつつ。 ニューヨークへ行きたいか! 自由の女神を見るたびに、 アメリカ横断ウルトラクイズを思い出す昭和の中年のあたし。 突然決めた弾丸旅行だったので、 結局日中は、ニューヨークオフィスで仕事・・・。 今回の宿も会社のNYオフィスから徒歩圏内の、市立図書館の目の前のホテル。 つい昨日のことのように セックスアンドザシティを語りたい中年ゲイの自分としては、 キャリーの家のロケ地を訪れずにはいられません。 (今回は、ウクライナの旗立ってたわ) マンハッタンの紀伊國屋では、 我らが(中年おばさんの友)ジェーンスーさんの本も 絶賛販売中。 マンハッタンには大戸屋もあるのよね。 島ほっけの塩焼

イタリア - ヴェネツィアに生きる、旅の終わりに

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あれは夢か現か。 アマルフィでの4日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。 最後の目的地である、ヴェネツィアへ向かうべく、ナポリ駅へ車で向かう予定・・・、 だったのだが、車に荷物を詰め込んで、さて、お世話になったホテルに挨拶しましょうか、という時に、横にいたN君が血相を変えている。 「次は何? また腹痛?」 と問うと、車の鍵を車のトランクに入れたまま鍵を閉めてしまったというではないの! ナポリ駅での電車の出発時間は、2時間後。レンタカーを返すなどの時間も考えると、今すぐにでもアマルフィを出なければならぬ。 もはや呆れて声も出ぬ自分だったが、ホテルの人に事情を話すと、我らの心配顔を他所に陽気に笑い出した。 そして、ホテルの人はイタリア語で車修理の店へ電話をかけてくれ、すぐに駆けつけてくれたその店のおっちゃんは、ささっと工具を使って車の鍵を開けてくれたのだった。 終始、ホテルの人も修理屋のおっちゃんも、ニコニコしていて、そんな彼らを見ていたら、 ”何事も、ケセラセラ。なるようになるの精神で、いつも笑顔で楽しく生きていけたらいいね” などとぼんやり思ったりしたわよ。(ケセラセラは、イタリア語じゃなくて、スペイン語だわな?) さて、ナポリから電車に揺られ、イタリアの美しい田舎の風景を眺めていたら、5時間ほどの電車の旅もあっという間である。 はるばる南イタリアのアマルフィから北イタリアのヴェネツィアへ、わざわざ行かんでも、などと旅行前に友人からは言われたりしたが、今回ヴェネツィアを訪れたいと熱望したのは自分である。 突然のコロナ禍で、自由に旅もできなくなり、会いたい人にも会えなくなり、好きだった店も閉店してしまいと、この3年でそれを痛感したからか、 ”ここに来れるのもこれが最後になるかもしれない” ”この人と会えるのもこれが最後になるかもしれない” といつでも考えるようになった。 (自分ももう若くないので、突然コロナや他の病にやられるかもしれないですしね・・・) というわけで、今までローマやフィレンツェ、ミラノは行ったことがあったが、ヴェネツィアへ行ったことがなかったので、 ”これが、最後になるかも、しれないだろ (c) FFX” と、無理やり今回の旅程にヴェネツィアを組み込んだのである。 そして、そうやって遥々やってきた、水の都ヴェネツィアは旅の終わりに相応しい、素敵な街で

イタリア - 天国を見たアマルフィ海岸

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さて、今回のイタリアの旅で、唯一我が家のN君と、訪れたいと思う場所が一致したのが、アマルフィ海岸である。 だいぶ前に、TBSの「世界遺産」か何かのテレビ番組でその美しい海岸線の映像を見て以来、長い事いつかこの目で見てみたいと思っていたのだが、今回ついにその地を訪れることとなったのである。 洞窟の街マテーラで腹を壊したN君も、翌朝には何事もなかったかのように元気になり(ほっ…)、ホテルで朝食をとったら、アマルフィに向かって出発である。 マテーラの街を出て、車を西へ3時間ほど走らせサレルノの街を越えると、なんとなく空気に潮の香りがしてくる(気のせい)。 日光のいろは坂のような山道を下っていくと、突然目の前に海が開け、右手の崖には水色やピンク色や黄色のパステルカラーの可愛らしい家々が立ち並んでいる。 「きゃ〜! アマルフィだ〜!」 中年のおっさん2人、思わず年甲斐もなく叫んだわよね。 そういえば、その昔、アマルフィを題材にした 織田裕二主演の映画もあったよな・・・ 地図を見てみると、実際にはそこはアマルフィの街ではなかったのだが、アマルフィ海岸であることは間違いないようだ。 その後、間も無くしてアマルフィの街に着いたものの、我々はそこからまた車で20分ほど崖の道を上らねばならない。(なんせ、直前にバタバタと決めた今回の旅行だったものだから、アマルフィの市内の宿はどこも満室だったのよ…。) レモン畑の側を走る、細い曲がりくねった道を上っていくと、ようやく今回のアマルフィ海岸での拠点、ラヴェッロに到着である。 その昔、音楽家ワーグナーが愛したという、小さな街ラヴェッロ。 アマルフィの街へのアクセスはあまりよくないが、 眺めが美しいので、よし、としましょう。 おっさん2人で来るには、この街は、ちょっとロマンチック過ぎる気もするがね。 結婚式によく使われるらしく、あちこちで美しい花嫁姿を見かけたわ。 このテラスからの眺めよ。 N君は、彼が好きな映画「TENET」に出てきた場所ってことで ひとりで大騒ぎ・・・。 昨日、腹壊して寝込んでたのは、どこいったよ。 それほど人も多くない、ラヴェッロの街。 確かに、中年のおっさん2人で来るには、美し過ぎるが、 喧騒を離れて静かに過ごせるのは、中年には丁度良い。 さて、我らのアマルフィでの目的は、とにかく、ぼーっと過ごすことである。 元々

イタリア - 世界遺産と「007」の町で洞窟に泊まる

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コロナ禍に入ってから、映画館に行くことも滅多になくなった。 元々、地味な単館系の映画を好む自分としては、特に映画館に行かなくとも家のテレビで観れれば十分なので問題はない。 一方で、我が家のN君は、派手な、いわゆるハリウッド映画が好きなので、やはり映画は、映画館で観たいという。 そんな中、去年の今頃だっただろうか。 007/ジェームズボンドの最新作が劇場で公開されるということで、N君はどうしてもそれを映画館で観たいという。 確かに、007シリーズは、アクション映画に興味のない自分でも、世界各地の美しい風景をまるで旅をしてるかのように楽しめるので、毎回好んで観ている映画であった。 「それじゃぁ、人が少なそうな朝一番の回に観に行きましょう」 ということで、コロナ禍以来、初の劇場での映画鑑賞となったのであった。 その007最新作「No time to die」の舞台となった町が、南イタリアにあるということで、N君は、今回のイタリア・クロアチア旅行に、元々行く予定であった南イタリアのアマルフィーへ行く途中にあるところだし、どうしてもその映画に出てきた町を旅程に組み込みたいという。 自分はどちらかというと、一気にアマルフィまで行って、そこでゆっくり、細々とした移動なしで過ごしたかったのだが・・・。 あまりにもN君が推すので調べてみると、そこは洞窟住居で知られる世界遺産の町だという。 確かに、以前TBSの「世界遺産」でも見たことがある町のようだ。 "確かに今回行かなかったら、もう今世では訪れるチャンスもないかもしれない…” ということで、南イタリア「マテーラ」へ、行くこととなったのでした。 ---------------------- クロアチアのドゥブロブニクからの夜行船で、イタリアの港街バーリに早朝に着いたら、レンタカーで古いフィアットを借り、世界遺産の町、マテーラへ向けて出発である。 「マテーラに行く途中に、石積み屋根で有名な、アルベルベッロって街もあるから、行きたい!」 と、突然これまた欲張りなN君が言い出したが、慣れない船室でほとんど眠れなかった自分は、もはや抗わずに、N君の言うがままに従うことにする。 アルベルベッロの街が一望できるテラスで、 とりあえず一杯引っ掛けるあたし 円柱の白い建物に石を積み上げられて作られた屋根の家々は、 トゥルッロ群とよばれ、こち

まだ生きてるよ

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前回の投稿後、夏の旅行記も中途半端のまま、仕事の繁忙期に入ってしまい、朝晩ストレスで血圧をバクバクさせながら、2ヶ月間、辛い日々を送っていた。 それでも、先週なんとかそんな繁忙期も終わりを迎え、その後遺症でまだ体はしんどいままだが、やっと人間らしい生活が少しずつ戻ってきている。 とにかく食事もままならず、夜も眠れぬような酷い生活をしていたので、こうやって、また平穏な日々に、台所でご飯を研いだり、味噌汁を作ったりする時間が、とんでもないありがたい幸せなことだと思えてくるわよね。 「サンクスギビングの休み、また日本帰ろうかな〜」 繁忙期に入る直前に、同年代のゲイの友人K枝と一緒に飲んでいると、そんな話になった。 K枝は、この春にも、年を重ねた親に会いに、一人っ子の責任感もあってか、コロナ禍以降初めて帰省したのだが、11月の半ばから、サンクスギビングの休みと合わせて、日本に帰ろうか考えているという。 自分も、夏の休暇に日本へ帰ろうかと、実家の母に打診したところ、コロナのことを考えると父や近所の人々が海外から訪れるのにあまりいい顔はしないかもしれない、と言うことで、諦めたのであった。 もはやどこへ行っても、マスクをしている人を見かけることはほとんどなくなった、サンフランシスコである(自分は今でもスーパーやジムではマスクしてますが)。 日本に住む友人たちに話を聞いてみると、東京もだいぶコロナも落ち着いてきているし、久々に帰って来れば、と言う。 それならば、自分もK枝と同じく、サンクスギビング前後に日本帰ろうかしらん!もう4年弱帰ってないし!と妹と相談してみると、 「んー、まだ実家はやめといたほうがいいかも・・・」 と歯切れの悪い返事が返ってきた。 どうやら、実家の父は、まだ自分が海外から帰ってくることに、いい顔をしないという。 こうなると、 ”もしや、自分が同性婚したから、会いたくないとか?” などと、オカマの被害妄想的考えも頭によぎるが、もう80近い(元々頑固な)父のことを考えると、確かに自分が無理強いして帰って、体でも壊されたら困る。 それでも、優しい我が妹は気を遣って、今回は日本国内旅行楽しんだら?とか、父なしでも母や妹夫婦と横浜や東京で会おう!とか、提案してくれる。 自分も家族も友人も、着実に年をとっており、特に日本に住む友人の中には大きな病気をした人もいるから、お互

クロアチア〜イタリア - 夜行船の旅

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ドゥブロブニクでの4日間という短い滞在の日々。 その小さな街をあてもなく散歩したり、近くにある無人島で泳いだり(ゲイの集まるヌーディストビーチもあったわ!)、旧市街にあるワインバーでクロアチアワインのテイスティングをしたり、エメラルド色のアドリア海を眺めながら夕焼けを眺めたり、としているうちに、あっという間にイタリアへ戻る日がやってきた。 この街にある港から、アドリア海の対岸にあるイタリアのバーリという街まで、夜行船で向かうのである。 ホテルの主の陽気なおばちゃんにそう伝えると、港まで車を出してくれるという。 夕方、英語を話さないおじさんの車に乗り込み、窓から夕暮れ時の美しいドゥブロブニクの街とアドリア海を眺めながら、おセンチな気分(昭和!)に浸っていたら、あっという間に港に到着した。 船に乗り込む前に、ゲートの出国検査でパスポートを手渡すと、船の印のついたスタンプを押してもらう。 EU間ではパスポートの提示は必要ないと思っていたのだが、それはあくまで「シェンゲン協定」と呼ばれる協定を結んだ国の間のみで、クロアチアはその協定に参加していないのだった。(そういえば、通貨もユーロじゃなくて、クーナだったわ。) 船に乗り込み、ホテルのフロントのようなところで部屋の鍵を受け取り、荷物を片手に、迷路のような船の中をやっとのことで、我らの部屋のドアを見つけることができた。 部屋は、まぁ期待はしていなかったけど、以前ポルトガルースペイン間を夜行列車で渡った時の部屋以上に、狭い部屋だったわよね。 それでも、どうしても船でアドリア海を渡りたいと主張していた我が家のN君の手前、まぁ、シャワーもトイレも付いているし、と文句は言わないでおくことにする。 そんなN君は、テレビで中継されている水球大会の試合が見たいというので(クロアチアは水球で有名らしい)、自分は彼を置いて甲板に出て、船が出発するまでの間、クロアチアのビールを片手にクロアチアの薄紫色に染まった港街を眺めることに。 最後に、こうやって船に寝泊まりして旅したのは、いつだったかと思い返してみると、それはもう自分が小学生くらいだった頃に、父に連れられて、神戸からかあるいは鹿児島からだったか、父の実家のある奄美群島へ向かう船の旅だったことを、思い出す。 そんなことを考えていると、船は出発の汽笛を鳴らし港を離れていった。 あっという間に、

クロアチア - "魔女の宅急便"の街の光と影

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ローマから、飛行機で1時間半ほどで、クロアチアのドゥブロブニクの空港に到着し、陽気な若いお兄さんのタクシーに乗り込んで、海沿いの道を20分ほど走ると、ドゥブロブニクの旧市街が見えてくる。 ドゥブロブニクでの宿は、我が家のN君がネットで見つけてきた、旧市街を見渡せる丘の上にある、小さなホテルだ。 宿主の陽気なおばちゃんから手渡された、クロアチア名物(?)だという、果物の甘いウェルカムドリンクのグラスを片手に、テラスから美しいアドリア海と世界遺産でもある旧市街を、ぼーっと眺めているだけでも、はるばるクロアチアまでやってきた甲斐があった、と思えてくる。(欧州の空港の混乱やらコロナやらで、ここまで来るにも、すったもんだがあったのよ…。) アドリア海の透き通る海の水の色の美しさ。 ずっと眺めていたい景色・・・。 ホテルから丘を歩いて下ると、中世ヨーロッパ感溢れる門に到着した。 旧市街は城壁で囲まれており、いくつかある門を通って街のなかに入る。 城壁上は遊歩道になっているので、美しい旧市街の街並みを眺めながら、歩く。 (観光案内所でドゥブロブニクパスを買うと、観光地巡りに色々お得です。) 城壁の途中のカフェで、アドリア海を背景に乾杯 。 城壁の崖に造られたカフェバーでは、泳いだり飲んだりできるので、N君も大はしゃぎ。 (美しい夕焼け時間は混んでますが、朝一番で行けば空いてます。) 海辺の街なので、魚介が美味い。しかもワインが安いときている。 確実に太っていくわよね・・・。 「アドリア海の真珠」とも呼ばれるこの街は、宮崎駿監督の「魔女の宅急便」や「紅の豚」の舞台モデルとなったらしいが、HBOの人気ドラマの「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地でも使われていたらしく、旅行客向けにロケ地ツアーなども人気らしい。 夜になり、数ヶ月前にオープンしたばかりだという、ドゥブロブニク唯一のゲイバーに、一杯ひっかけにいくと、ペンシルバニアから新婚旅行で来ているというストレートのカップルや、スコットランドから来ているというゲイカップルと話す機会があったが、彼らは、そのロケ地ツアーが、目当てで来たらしい。 そんな美しい観光客にも人気のドゥブロブニクだが、街のあちこちにそんな華やかな雰囲気とは異なる掲示版を、しばしば見かける。 何かと立ち止まってその掲示板をよく見てみると、この街が、セルビア人とクロアチ

イタリア - 古代ローマの男たちに想いを馳せる

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ローマの古い静かな通りに面したAirbnbの宿に到着したのは、予定を大幅に遅れた夜中の12時過ぎだった。 航空機に遅れが出て、ドイツのフランクフルトでの乗り継ぎに間に合わなかったのである。 若い頃であったならば、 ”予定では初日にスペイン階段で、ジェラート食べる予定だったのに!” などと、イライラと機嫌を損ねていただろうが、今では、 ”まぁ、しょうがない。これも運命なのだわ” と、自分の気持ちに折り合いをつけられるようになったのも、歳をとった証拠か。 今回、ローマの滞在を決めたのは、我が家のN君がクロアチアのドゥブロブニクに行きたいということで、ローマからドゥブロブニクへの直行便が出ているからなのだった。 自分もN君も、ローマへは20年ほど前に訪れたことがあるから、特にこれといってどうしても訪れたい街ではなかったのだが、それから20年経って改めて訪れたローマは、やっぱりすごかった。 ローマは、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」として、ユネスコの世界遺産として登録されているくらいで (Wikipedia情報)、街をぶらりと歩いていると、あちこちにそんな歴史的建築物と遭遇することになる。 元々、TBSの番組「世界遺産」が好きで、20代の頃は、日曜の夜遅くに次の日からまた仕事であることを思うと、鬱々としていたところを、その番組を見て、世界遺産のロマンに触れて、そんなどんよりした気分を紛らわしていたくらいの自分である。 年甲斐もなく、20年前の自分と変わらず、そんな美しい世界遺産を見ては写真を撮りまくるというはしゃぎようだったわよね(恥)。 特に素晴らしかったのは、ベタではあるのだが、やはりバチカン美術館にあるシスティーナ礼拝堂とコロッセオだろうか。 システィーナ礼拝堂のベンチに座り、ミケランジェロの「アダムの創造」や「最後の審判」をはじめとした、美術や世界史の教科書に載っているような名作を目の当たりにしていたら、周りの観光客の喧騒も忘れ、あっという間に30分くらい経ってたわよね。(20年前に訪れた時は、大して感動もしなかったのだが、これも歳をとった証拠!?) コロッセオも、2000年程も前に作られたこの巨大建造物が、今だこうやって姿を残していて、当時の歴史を我々に伝えてくれていることに感動しつつ、ふとだいぶ前に読んだ、我らが田亀源五郎大先