2018年12月29日

たしかなこと

2018年も何とか無事に終わろうとしている。

結局、最後の最後まで仕事でバタバタとしてしまい、年越し前の家の大掃除もちゃんと出来なかった。

それでも、仕事の合間に、親しい友達との忘年会と称した食事会や、仕事場でのパーティなども参加でき、良い年末を過ごすことができたかしら、と思う。

「あたし、来年はイライラしない、怒らない、をテーマに生きるわ! 美輪明宏先生目指すの!」

老人ホームのようないつものカフェで、いつもの仲間と忘年会(ただのお茶会)をしていたら、突然女子のBちゃん(熟女)が言い出した。

自分も、去年の年末は、

"2018年は、人に感謝を伝える、ありがとうと口に出して言う"

を目標にかかげて、実際に、なるべく「ありがとう」と言うようにしてきたつもりだ。

ただ、その一方で"ありがとう"を言わない人たちが大勢いることに気づいて、逆にイライラばかりしていたのだ(めんどくさい、オカマね)。

「Bちゃん、あんたそんなこと言って、変な宗教とかにはまらないでよ~?」

などとその場ではみんなで茶化したけれど、自分も2019年は、日々平穏な心でいることを心掛けよう、と思ったのだった。

そして、家族、友達、これを読んでくれている方々、自分自身が、心身共に健康でいられますように!

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さて、これから空港に向かい、

年末年始、目指すは人生初の南アメリカ大陸、

ブラジル・アルゼンチンだ!

2018年12月25日

出逢いはスローモーション (7)

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これまでのお話

出逢いはスローモーション (1)

出逢いはスローモーション (2)

出逢いはスローモーション (3)

出逢いはスローモーション (4)

出逢いはスローモーション (5)

出逢いはスローモーション (6)


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"やばい、バスに間に合わねええ!!"

と、平日の朝からバタバタ家を飛び出すと、マンション入口の郵便受けの下に荷物が届いているのが目に入った。

日本菓子か何かの段ボールだったので、すぐにうちの実家の母から送られてきたものだとわかる。

"えーと、荷物を抱えて、一度家にも戻ろうかすら、あるいはこのまま、夜、会社から戻ってくるまでここに置いておこうかすら"

と数秒考えたが、ここに放置しておいて万が一誰かに盗まれでもしたら(だれも日本語で書かれた訳の分からぬ段ボールなどもっていかないだろうが)、とバスはやりすごすことにして、荷物を抱えて家に戻ることにした。

次のバスのスケジュールを携帯で確認すると、まだ時間があるので、その段ボールを開けて中身をみてみることにする。

箱の中にはいつものように、粉末状の緑茶やら薄焼き煎餅やらフリーズドライの味噌汁やら鎌倉名物の鳩サブレーやらが詰められていた。

"こうやってわざわざ日本からアメリカまで荷物を送ってもらえるのも、母ちゃんが元気でいてくれる間。永遠に続くものじゃないのよね・・・”

としみじみその有難さに感謝していると、

煎餅やらなにやらに混じって、小さい紙袋が2つ入っているのに気が付いた。

その小さな紙袋には、それぞれ「弘明寺」とかかれたお守りが入っていたのだったー。

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1年前の冬。

久しぶりにクリスマスに日本に帰った。

実家で数日過ごしたあと、大阪、奈良、高野山、東京と旅行したのであるが、大阪からはN君が合流し、十数年前にN君が英語教師として住んでいた奈良の村などを一緒に訪れたりしたのである。

アメリカに戻る前には、新宿の天ぷら屋で妹夫婦にN君を紹介したのだが、妹夫婦も普通に接してくれて、安堵したのを今もよく覚えている。

その翌日、アメリカに戻るべく羽田空港へN君と向かっていると、両親がいつものように空港まで見送りに来るというではないの!

さて、N君のことをどう紹介しようか・・・、と空港についてからも、ロビーをふらふら歩きながら考えあぐねていると、見覚えのある背の低い老夫婦の後ろ姿が。

「あら、あんた! もう着いてたの!」

と自分とN君に気づき駆け寄ってきたのは、我が母であった。

「えっと、あ、アメリカ人のN君です」

と突然のことに、訳の分からぬ紹介をしてしまう自分、

すると母は、

「いつも息子がお世話になってます」

と普通にN君に日本語で話しかけている。

思わずぽかーんとする自分だったのだが、どうやら、妹がすでに母にある程度話をしておいてくれたようなのだった。

別れ際、

「ほら、いつもの弘明寺のお守り、買っておいたの渡したかったのよ~!」

と母はごそごそと地元のお寺さんのお守りを手提げから取り出し自分に手渡す。

そしてそれと同時に、

「ほれ、こっちはN君の分!」

とN君にも同じお守りを手渡してくれたのだった。

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それから1年がたち、決して宗教を信じる家ではないのに、今でも「お守りは1年に一度とりかえるもの」と信じる母から、こうやってまた二人分のお守りが送られてきたのであった。

段ボールに紛れて一緒に入っていた母からの手紙には、

「弘明寺にお守り受けに行ってきたよ~。来年用! 今年のと取り替えてネ。ご加護があるように頼んできたからネ。でも、クリスマスにお守りってどうなのかね? まあいっか。お互い元気で暮らそう。N君にもよろしくネ。」

と書かれていて、これから会社に出勤だというのに、思わず涙する自分だったのだ。



今年は一回り小さいクリスマスツリー
子供の頃は実家でこれよりもっと小さいツリーだったわ

続く







2018年12月20日

少し元気失くしてるあなたにも 心いやす言葉を探している

フロリダのオーランドの空港で、サンフランシスコに戻る便を待っている。

この1週間、ここオーランドで仕事関係のカンファレンスに参加していたのだ。

アメリカに十何年も住んでいても、未だに人前で英語で話すのが苦手なので、この手のカンファレンスは本当に苦痛でしかない。

自己紹介からはじまって、グループディスカッションだの、ケーススタディだのを、アメリカ各地から集まってきた見も知らずの人達と、1週間も毎日やるなんて、考えただけで腹が痛くなるわ!

と、もう数か月前から参加日が近づくにつれて、食欲もなくなるほどのストレスを感じていた訳なのだ。

そんなカンファレンスとトレーニング漬けの1週間も、気が付けば何とか無事に終え(ストレスで大分痩せたかしら・・・)、1週間溜まっている通常業務の仕事はとりあえず忘れたふりをして、空港のバーで一杯ひっかけてる。

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"できごとより、考えのほうがこわい"

と、最近読んだ角田光代氏の「さがしもの」という本に書いてあった。

実際にできごとが起こるよりも、そうなることを恐れて心配したり不安になったりする「考え」のほうが、よっぽどこわいというのである。

"できるだけ考えないようにする。目先のことをひとつずつ片づけていくようにする。
そうすると、いつのまにかできごとは終わり、去って、記憶の底に沈殿しているー"

確かに、カンファレンスの発表で失敗したらどうしようといった目先のやわな心配事も、日々の人間関係や仕事の事も、将来・老後のことを色々考えて不安になるような事も、なんでも色々先立って考えてしまうのが悪いのだ。

実際に起こってしまえば、大抵のことは、考えていたよりもあっさりと済んでいくということは、40年生きてきて経験で分かっているのに。

「もうこの仕事ほんとに無理!!!終わんねえ!!!」

と社内のチャットで同僚の日本人に叫んでみたならば、

「無理だけど、今は、目の前のあるものを、1個1個終わらせていけば、いつのまにか終わってから大丈夫だよ~」

と同僚からさらりと悟りを開いたような返事が返ってきたわよ。

「どうしよう! 最近付き合い始めた彼と、今後うまくいくのか心配! クリスマスプレゼント早々買ってきたんだけど、彼、気に入ってくれるかしら…」

オカマ友達のK枝はK枝で、週末のランチでベトナムヌードルを一緒にすすっていたら、突然そんなことを言い出す乙女である。

「K枝ちゃん、先のことばっかり心配しないで、今は焦らずに彼との今の日々を楽しむように心がけてれば、きっとうまくいくわよぉ」

と自分もそんなふうに返したのであった。

誰だって、色々心配事を抱えて生きている。

2019年は、先の考えや心配事ばかりにとらわれずに、日々穏やかにストレスなく平和に過ごしたい、と心から思う年の瀬である・・・。




2018年12月9日

懐かしさの一歩手前で こみ上げる苦い思い出に

日曜の朝。

どうせ汗をかくから、と顔も洗わずシャワーも浴びずに家を出て、ジムへ向かって歩いていると、反対側から見覚えのある顔の男が向かって歩いてくる。

もう10年近く前に付き合っていたアメリカ人の男である。

「偶然! 久しぶり。 元気だった?」

「クリスマス休みは旅行でも行くの?」

「特に予定ないから、ここにいると思う」

「よい年末を!」

「よい年末を!」

などと、ほんの一瞬の他愛もない会話を交わし、軽くハグした後、お互い別の方向へ向かってまた、歩き出す。

東京ラブストーリーのリカじゃないが、背後に小さくなっていく彼の姿をちらっと振り返ってみる。

ある程度の期間を一緒に過ごした相手ではあるが、今となっては何の未練もない。

しかし、久しぶりに見るその懐かしい姿に、当時の記憶がよみがったのである。

ある程度の期間を一緒に過ごしたその男との別れは、その当時は本当に精神的につらいものがあって、すぐにフィリピン人の新しい男(若いかわいい子!)を見つけた彼と、しばらく独り身のままの自分との間の溝は深く、もう彼の顔など二度と見たくない!等と思ったこともあったかもしれない。

しかし、別れから10年も経つと、そんな恨みつらみよりも、

"しばらく見ないうちに、大分痩せたけど、大きな病気でもしたのかしらん"

"その後、フィリピン人の彼とは別れたと風の噂に聞いたけど、クリスマスは一人でさみしくしてないかしらん"

と、相手の心配をしている自分である。

「久々に、昔付き合ってた、Jとディナーしてきたんだけどさ」

と同業のM子ちゃんも、最近、昔の男とただの友達として食事をしてきたという。

「当時なんで、この変な男と付き合おうと思ったのかも、思い出せないんだけど!」

「若いときの男選びって、そういう過ちを犯すもんなのよぉ!」

と言って二人で爆笑したのだった。

ただ、自分もM子ちゃんも、過去の男たちとどんな別れ方をしようが、ただ、彼らがどこかで幸せに過ごしてくれていればいい、と願うのである。













2018年11月27日

MILK - ミルク

サンクスギビングの4連休は、パームスプリングスで過ごした。

ロサンゼルスから車で東に2時間弱行ったところにある、砂漠のど真ん中にあるような街である。

ゲイの人々のリタイア後の街としても知られ、右をみても左をみても街中がオカマだらけなのよ。

「ねぇ、ここのバー、ジジイばっかりでつまらない。いい男一人もいないじゃない!」

「あんた、そんなこと言ったって、うちらだって若い子からみたいら、ジジイだわよ?」

「ジジイっつーか、ババアだよ、あんたは!」

自分と同じタイミングで、テニス仲間と遊びに来ていたK枝と、そのパームスプリングスのダウンタウンにあるゲイバーで、周りのオトコ達を物色しながら、酒をひっかけながら、いつもと同じやりとり。

「でもさぁ、あそこに座ってるおじ様達も、若いときがあった訳で。彼らの若いときは、うちら以上に、ゲイとして生きていくの大変だったはずよ」

「ほんとだねぇ。彼らの世代が若いときゲイの権利を訴え続けてくれたおかげで、今のうちらの自由があるんだもんねぇ」

もう11月も終わるというのに、日中はショートパンツにタンクトップでも気持ちが良い夏のような気候である。

確かに平均年齢の高い街だが、そこに住む人も優しく、ロサンゼルスやラスベガスとはまた違った居心地の良さがある街だったのだ。

朝からプールサイドで一杯ひっかけるアル中のあたしです。

砂漠のど真ん中に突然現れる風車群

K枝の友達の所有する家にお邪魔して、日が沈むのをみながら
また一杯ひっかけるアル中のあたしです。

遠くの岩山と夕焼け色に染まった雲の美しさよ。

オカマバーに行ってみたら、下品なゲームが。。。
中央の穴におもちゃの鉄砲で当てたら景品がもらえるらしい。。。

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1978年11月27日。ちょうど40年前の今日。

この国ではじめて、ゲイであることをオープンにしながら市議会議員に選ばれた、ハーヴィー・ミルクが銃で殺された日である。

以前も書いたが、彼はサンフランシスコのゲイの街カストロの「市長」と呼ばれ、LGBTの自由と権利の為に尽力した人であった。

彼が亡くなって30年後の2008年の11月には、ショーン・ペン主演の「MILK」という映画が公開され、自分もこの映画を見てはじめて、ハーヴィーとその同じ時代を生きたLGBTの人々の苦難と努力を知ったのである。

仕事帰りにカストロの街を通ると、雨にもかかわらず道に溢れんばかりの大勢の人が、ハーヴィーを称えて集まっていた。