2019年9月23日

木漏れ日がライスシャワーのように (5)

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これまでのお話

木漏れ日がライスシャワーのように (1)

木漏れ日がライスシャワーのように (2) - 家族の心模様 I

木漏れ日がライスシャワーのように (3) - 家族の心模様 II

木漏れ日がライスシャワーのように (4) - 家族の心模様 III

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「は!? あんた、まだ会場も決めてないの!?」

「いいところは1年以上前から予約しなきゃダメなのよ!? 間に合うの??」

と、それでなくても結婚式そのものを考えただけでストレスだというのに、それに拍車をかけるかのように元同僚女子がプレッシャーをかけてくる。

そう、結婚式の準備の第一の関門は、会場選び(のよう)なのである。

しかし、国際結婚ということで、式を日本であげるかアメリカであげるかをまずは考えねばならない。

同じくアメリカ人と結婚をした会社の同僚日本人女子に相談してみると、彼女は、アメリカと日本の両方で式をあげたとさらりと言っていたが、自分たちにはそんな予算も時間もないわ!

海外旅行をしたこともない我が親のことを考えると、東京のどこかの雅叙園やら椿山荘やらの和式の静かなホテルであげるのが無難だと自分は思うのだが、それでなくても招待客リストが自分の2倍も3倍もあるN君である。招待客のことを考えたら、東京は遠すぎる、地元のサンフランシスコであげたいという。

そもそも、東京のホテルで同性婚があげられるものなのかしらん、とネットで調べてみると、恵比寿の某ホテルで式を挙げようとした同性カップルが、ホテル側から同性であることを理由に断られた等という記事が載っていた(その後、その二人は交渉してそのホテルで式をあげたようだが)。

そんな記事をあちこちでみていたら、ここ(サンフランシスコ)に住みながら、東京での結婚式を準備していくのは、肉体的にも精神的にもかなりきつそう!!と怖気づく自分である。

それじゃぁ、東京とサンフランシスコの間をとってハワイのワイキキで、などという案も出たのだが、仕事のスケジュール上、日取りと照らし合わせると、ハワイは雨季となり、ハワイのビーチ、ガーデンウェディングをするには、天候のリスクが高い・・・。(大雨の中、ビーチでずぶ濡れの中年オカマの結婚式、切なすぎるじゃないのよぉ)

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「サンフランシスコの市庁舎がいいなぁ」

我が家の窓から遠くに見える、夜にライトアップされた市庁舎をみながら、ふとN君が独り言ちた。

今でこそ落ち着いているものの、当時カリフォルニアで同性の結婚が一時的にみとめられた時は、大勢の同性カップルがストレートのカップルと同じように結婚の権利を求めて、押し寄せた市庁舎である。

「調べてみたら、週末は昼から建物を貸し切って、結婚式と披露宴開けるみたいだよ!」

と、N君は、もうやる気満々である。

"確かに自分の第2の故郷になろうとしているこの街で、同性結婚の象徴でもあるサンフランシスコの市庁舎で結婚できるのならオカマ冥利につきるわよね・・・"

"でも、妹夫婦はともかく、海外旅行をしたこともない母や兄を呼ぶのはハードルが高いかしら・・"

"でも、市庁舎なら、そこらのホテルで式をするより安いだろうし・・・"

などと色々な思いが頭をかすめる。

"市庁舎で、結婚式ねぇ・・・・"

と、ほおづえをついて、改めて窓の遠くに見える美しい市庁舎の建物をみる。

かつて、サンフランシスコのゲイの街カストロの"市長"と呼ばれ、アメリカではじめてゲイであることを明らかにしながら市会議員として選挙で選ばれ活躍した、ハーヴェイミルクが命を落とした場所でもある。

やっぱり、自分たちのために人を呼んで、はしゃいで騒いで結婚式を挙げる気には今でも全くなれない自分だが(できれば、ひっそり2人だけでやりたいクチである) 、そんなサンフランシスコの同性愛者たちの歴史を背負いながらも、夜景の中で控え目に照らされた市庁舎の建物をみていたら、人生に一度の(はず!)の結婚という経験をあそこでなら自分もしてみたいと思えてきたのであった。(中年オカマ思い込みあるある)。


続く・・・。



2019年9月2日

暮れなずむ町の光と影の中 去りゆくあなたへ贈る言葉

休日出勤の土曜日。

いつもならば霧に覆われているはずのサンフランシスコの8月にしては珍しく、雲ひとつない青空の中、自分はひっそりオフィスに篭って仕事である。

そんな仕事の合間に、携帯でインスタやらフェイスブックを覗いてみたならば、三連休ということもあって、皆あちこち旅行先から楽しそうな写真を載せている。

同業者のM子ちゃんは、カナダのバンクーバー。

オカマ友達のM男は、旦那の実家のミズーリ。

東京のK子は、韓国。

N君は、家族の集まりでシリコンバレーの南のサラトガ。

他の友人共は、ロサンゼルスのテーマパークやら、メキシコのプエルトバジャルタのゲイビーチやらで、それぞれ長い週末を楽しんでいるようだ。

自分と言えば、仕事を終え、そのままひとり家に帰るのもつまらぬと、ジムに寄ってみたけれど、やはりこの連休は皆旅行に出ているのか、人も少なくひっそりとしてたわ・・・。

結局、帰り道にスーパーマーケットに立ち寄って、安い白ワインを買って、汗だくになりながら家に帰ってきたのであった。

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先週の金曜日。

サンフランシスコのダウンタウンで働く日本人ゲイサラリーマンの夜飯の会が、年に何回かあるのだが、そのメンバーの一人であるTさんが、30年住んだアメリカを引き払い、日本に帰るというので、最後にと皆で集まった。

場所は、

「最後なので、カストロで!」

と、Tさんご指定で、オカマのメッカであるカストロに集合である。

Tさんは、自分より10歳くらい年上だろうかー(オカマの世界だから年齢が朧なのよ...)、いつもおされな身のこなしで、バリバリと仕事をこなす、中年オカマ(あたし)の憧れの存在だったのだ。

自分の仕事上での繋がりもあり、サラリーマンの会の外でもお世話になっていたので、今回Tさんから突然「帰国します。」と連絡があったときは、聊かショックだったわよね。

オカマの街のど真ん中にあるイタリア料理の店に集まり、

「東京に帰ったら、日本男児たちに挟まれて通勤で楽しみですね~」

「会社帰りの銭湯で、いい出会いがあるかもしれないわよ~」

などと、皆で冗談を言いながら、イタ飯(昭和!)をつっついていると、

Tさんがぽつり、

「やっぱり家族に何かあったときにすぐに駆け付けられる距離に住んでいたいじゃないの」

と言うと、思わず皆真面目顔になる。

日本に残した、年老いてゆく家族。

家族と離れて住んでいる者の、永遠の課題である。

いつものオカマ仲間達と、時には半分冗談で、

「もう日本帰りたい~。 ご飯安いし美味しいし~。」

などと言い合ったりするが、皆、それよりも本当は家族のことが心に引っかかってくる年齢にきている。

"こんな好きでもない仕事のために、週末も働いて、この街にしがみついて残っているくらいなら、とっとと引き払って家族のいる日本に帰ったほうがいいんじゃいのかしらん?'

"でもこの歳になって、新たに日本で職をみつけ生活するのは、キツイし・・・"

と自分も、いつも自問自答して足踏みしている訳で。

そんな中、アメリカ生活の大御所でもあるTさんが、こうやって勇気を出してアメリカ生活を閉じ、日本に帰ろうとしているもんだから、

これはもう、心から応援したくなる訳で!!!

イタリア料理屋を出て、オカマの街のど真ん中の虹色に色付けされた交差点で、ひと時のお別れのハグをし、

「次の”ダウンタウンの会”は、かわいい日本人サラリーマンゲイが集まる新橋でネ!」

と最後に皆で約束をしたのであった。



Tさん、日本でもお元気で!


これから始まる暮らしの中で
だれかがあなたを愛するでしょう~
(C) りんごちゃん





2019年8月19日

派手な水着はとてもムリよ 若い子には負けるわ!

「E子、お誕生日おめでとう!」

「おめでと~。んで、いくつになったの? 四捨五入したら50だっけ?」

「失礼しちゃう。まだ、24よ!?」

土曜の朝は、そんなLINEのグループチャットではじまった。

「あんた、週末の朝に6時から起きてる時点で、正真正銘の40過ぎのババアだわよ」

「ひゃだ。あたしがオバさんになったら、あんたもオバさんよ!?」

「若い子には負けるわ!」

まだ朝の6時にもなるかならないかという時間に、今日誕生日を迎えたE子へのお祝いを込めた、40前後の中年オカマたちの会話である。

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数週間前、仕事帰りに水球チームのメンバーたちが練習帰りに飲み屋で飲んでいるというので、自分もそれじゃぁと立ち寄ると、20代の若手の選手たちがすでに酔っぱらってカウンターに座って飲んでいた。

「ねえ、どうやったら、運命の男に出会えるか教えて!」

「最近、おでこの生え際が後退し始めた気がするんだけど、どうしよう。」

「今の職場、いいオトコいないから、転職したい・・・」

自分もカウンターの空いていた席に座り、そんな彼らの悩みを聞いていたものの、こんなに外面からも内面からもあふれる若さを生きている彼らが、どんな悩みを吐き出そうと、

「あんたたち、まだ若いんだから、なんとでもなるわよ~」

と、中年オカマの皮肉にしか聞こえぬようなアドバイスしか出てこない自分なのだった・・・。

そして、

「あんたたち、飲み足りないんじゃないの? 今日はあたしのおごりだから、好きな酒頼みな!」

と思わず、大盤振る舞いしてしまうのである。

それにしても、彼らのこの元気の良さは何なのかしらん。

彼らには、どんなに疲れていようとも、どんなに人生を悩んでいようとも、幾らでも乗り越えられるような勢いがあるのである。

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土曜日の午後。

ソノマで行われる毎年恒例の水球チームのプールパーティへ向かった。

日々ジムに行っても大した運動もしていない自分である。上記のE子の誕生日メッセージのやりとりを終えたあとすぐにジムに行って、ちょっとはあがいてみたけれど、人前で堂々と水着になれるような身体の状態ではない。

ましてや、20代、30代の若き選手たちが派手な水着を着ている中で、スクール水着のような地味な黒い水着でこの中年体系をひけらかす勇気もないわ?

それでも、プールサイドの端で、冷えた白ワインを片手に、ひとり目を細めながら若者たちがはしゃいでいる姿をみて、なんだか楽しい気分になっている自分に気づく。

"ちょっ、ちょっと待って。昔から年上にしか興味なかった自分が、いつのまにこんな若い子たちを観て喜ぶようになったのかしらん...?"

"でも、若い子ばっかり追いかけてる東京のK子やそこらの若い子専のオカマたちの気持ちが、なんとなくわかった気がするわ・・・”

と、そんな若者達を横目に、独り言ちていた自分である。



2019年8月4日

風が僕らの前で 急に舵を切ったのを感じた午後

拝啓

お元気ですか。

自分は久々に南の島に来ています。

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ここ数年、サンフランシスコー東京便の値段が、やたらと高くなっている。

今までも、台湾・韓国やカナダ、あるいはLAを経由したほうが安い便はいくらでもあったのだが、歳をとるにつれて長旅がしんどくなってきたので、多少払ってでもできれば直行便で帰りたいと思っている。

そんな中、ハワイ経由で日本に帰る輩が自分の周りに増えていたので、自分も調べてみると、確かに直行便よりハワイ経由のほうが安いじゃないの。

"ん~、経由便はなにかと面倒だけど、ハワイで何日かゆっくりできるなら楽しそうね。安いに越したことはねえしっ!"

と、今回の日本行きは、ハワイアン航空のハワイ経由と相成ったのであった。

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梅雨の羽田からオアフ島ホノルル行の便に乗り込むと、アロハシャツのガタイの良いフライトアテンダント(いいオトコ・・・)が迎えてくれて、仕事やら家族との一件でゆっくりできなかった今回の日本滞在のストレスも、一気に吹き飛んだ自分である。

はじめの数日はホノルルで何も考えずにぼーっと過ごす。
(ビーチと海の見えるオカマバーを行ったり来たりしただけ・・・)


ホノルルで数日過ごしたあとは、ハワイ島へ。

ハワイ諸島へ向かう便では、入国の際に記入する書類に、「ハワイに過去に何回来たことがあるか」を問われるのだが、今までハワイ島へは行ったことはなかったのである。

自分の周りの"ハワイ通”は、

「どの島と比べても、ハワイ島が一番よ」

「ハワイ島は、ハワイのパワーを一番感じられて元気になれるの」

「ハワイ島の男達は、朴訥としてていいのよぉ」

等と、皆が口をそろえていうもんだから、

"兎に角、心身共に疲れてる自分をどうにかしたい!"

と、サンフランシスコへ戻る前に初のハワイ島訪問となった訳なのだ。

広々とした道路を走る視界に入るのは、溶岩の大地と青空のみ


ワイキキに比べたら、どこのビーチも静かで
こっそり聖子(渚のバルコニー)を鼻歌しても、誰も気にしない

ホテルのバーで、レインボーのかき氷を頼んで
大人気なくはしゃぐ40過ぎのオカマの中年である


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「もう、すべてを捨てたかったの。だから今ここにいるの。」

ハワイ島の滞在中のホテルから夕食へ向かう途中、Uberの運転手の中年女性が、ぽつりと語りだした。

「数か月前まで、本土に住んで働いていたんだけどね。土日も関係なく電話やらメールやらで、もう疲れちゃった。」

「こんな年になっても、住もうと思えばどこでも住めるのよ。生きようと思えば、何をしてでも生きれる。まだこの島では新米だけどね。」

つい数日前にも、スノーケリングの器具をレンタルしている店のおっちゃんが、以前はサンフランシスコに住んでいたのを全部投げうって、ハワイ島に越してきて、今はこの店で働いているという話を聞いていた。

「サンフランシスコもいい町だったけどね。この島はやっぱりいい島だよ。」

と、そのおっちゃんは何度も頷きながら、そんなことを言い、丁寧にスノーケリングの穴場のビーチについて教えてくれた。

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ぼーっと海を見ながら過ごしながら、ハワイのゆっくりと進む時間を楽しむのが贅沢である。

それに飽きたら、上島珈琲のコーヒー畑に行ってコーヒー豆を自分で煎る体験をしたり、マウナケアの山頂で星空を望むツアーに参加したり(天候不順でなんにも見えなかったわ・・)、コナビールのテイスティングで飲み比べをしたり、ホテルで流れる滝の音を聞きながらマッサージをしたり。

サンフランシスコに帰る前日の夕焼け空に
火星のような溶岩の大地から虹が


太陽が沈む頃には風向きも変わり涼しくなった。
人生も風向きのようなもの。それに身を任せればよいのかもしれぬ。
冷えた白でほろ酔いになったら、悟りを開いた気分よ。


ラベンダーの夜明けの海が見たいの~♪ (c) 聖子



2019年7月21日

木漏れ日がライスシャワーのように (4)

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これまでのお話

木漏れ日がライスシャワーのように (1)

木漏れ日がライスシャワーのように (2) - 家族の心模様 I

木漏れ日がライスシャワーのように (3) - 家族の心模様 II

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6歳年の離れた兄とは、幼い頃は本当に仲が悪く、当時は口を聞いた記憶も殆どないほどだった。

当時の兄は、短ランにボンタンという典型的な恰好で学校に通うという、いわゆる”ヤンキー" (死語?)であった(何度か学校から連絡が入り、母が校長室に呼ばれて行ったこともあったわよ!)。

一方、自分はゲーム・アニメ大好きで吹奏楽部所属という、毎週水曜は湘南で暴走族(もどき)の活動をしていた兄とは正反対の性格だったから、もちろん気が合うはずもなく、兄が家にいるときは、兎に角、兄の気に障らぬよう、殴られぬよう、気を消して生活していたものである。

その後、自分が高校に入る頃には、兄は家を出て、それ以来長いこと顔を合わせることも連絡を取ることもなかった。

「お兄ちゃんのところ、子供できたらしいわ」

大学を卒業し、東京でサラリーマンをしていた時に、母からそんな連絡が入った。

兄がいつのまにやら結婚したことは聞いていたが、兄に子供ができるというニュースは自分のことのようにうれしかったのを覚えている。

そして、それがきっかけとなったのか、あるいは自分も兄もそれなりに年をとり角がとれてきたからなのか、自分が働いていた会社が出していた育児の本を兄のお嫁さんに送ったりしているうちに、兄と自分の関係は、徐々に雪解けとなり、やっと普通に話をすることができるようになったのであった。

その後、兄がその奥さんと離婚したあとも、自分が日本に帰る度に、仕事の都合を合わせて甥っ子や姪っ子をつれて、顔を出してくれている。

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「兄はどうするの?」

母と妹とランチをしているときに、妹が兄に今回の結婚のことを伝えるのか問うてきた。

「お兄ちゃんには、結婚の事、言わないほうがいいかもしれんね」

それを聞いた母は、そう答えた。

なんせ、長い間、兄と自分との"冷戦"をみてきた母である。それでなくても、元ヤンキー(死語!)で、当時テレビにゲイのタレント(おすぎさんとピーコさんとか日出郎さんとか…)が出ていたりしたら、「こいつら死ねばいい」くらい平気で言っていた兄であるから(ひどい!)、母がそういうのも理解できる。

自分も、父の件もあるし、これ以上、家族から嫌な顔をされたり、また嫌な気持ちになって欲しくないという気持ちがあったから、結局、兄とその甥っ子と回転寿司に行った時も、兄が部活帰りの姪っ子を連れて実家に顔を出した時も、何も言えずにアメリカへ戻る前日を迎えてしまったのであった。

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夜中すぎ、アメリカへ帰る準備で荷物を詰め終え、ベッドに横になった。

ふと、以前ゲイ友達のKちゃんが弟さんにカミングアウトしてうまくいった時の話や、サンフランシスコサラリーマンの会のTさんが日本の弟さんにカミングアウトして以来、一番の人生の相談相手になっている話などを聞いていたのを思い出した。

そして、ベッドの横においておいた、焼酎の水割りを一気飲み。

"えーい、もう兄にも言っちゃうわ!!!"

と兄にLINEを送ってみることにしたのである。

「自分、結婚することになったんだけどね...」

「いわゆる同性婚ってやつだから…」

「母ちゃんと妹には言ったけど、父ちゃんはダメみたい...」

返事が来るのが怖くて、まとめて立て続けにメッセージを送る。

すると、しばらくして返事が帰ってきた。

「マジか、ついに、おめでとう!」

「今の時代はなんでも理解されているから、おまえはおまえらしく生きればいいと思うよ。」

「俺も自分勝手に今まで生きてきたから。でも悔いはなし。」

「おまえも悔いのないように(^^)V 仕事もあまり頑張らずに、身体大事にしなさいよ。」

兄からのそんな優しさにあふれた返事に、またも涙が止まらぬ中年オカマの自分である。

41年生きてきて、はじめて兄の優しさを知った夜だったのだ。


続く