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飛光

30代が終わるまでにもう1回読んでおこうと思っていた、学生時代から何度も繰り返し読んだ沢木耕太郎氏の「深夜特急」。 今朝の出勤中の地下鉄に揺られながら、最後の6巻を読み終えた。 (なんとか40になる前に読み終えたわ!) ------------------ 若き日の沢木青年は、ロンドンを目指して、日本から香港に渡り、マレー半島・シンガポール、インドを経由して、シルクロードを通って、トルコ、ギリシャ、南ヨーロッパ、そしてフランスをひとり旅した。 旅を始めた頃の沢木青年は、香港の市場の活気やマカオのカジノに心を躍らせ、インドやタイでの混沌に魅せられる。 しかし、シルクロードを渡り、アフガニスタンからイランに入ったころから、その心境に変化を見せる。 今まで訪れた場所での出会い何度となく振り返るようになる。 そして、 "旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、その土地で出会う人なのだ” と気づく。 沢木青年は、イスタンブールでの滞在中に、「 こんな物言いは以前だったら滑稽さしか感じなかっただろう 」と前置きしながらも、 "旅は人生に似ているという気がしはじめている。たぶん、本当に旅は人生に似ているのだ” と語る。 その逆もしかりで、人生は旅のようなものだと。 -------------------- 自分も年をとるごとに、今までの日々を振り返り思い出すことが多くなった。 ー10代後半の学生生活と20代前半の社会人生活。私生活でも職場でも自分をどれだけ良く見せようと背伸びしていた頃。自分がゲイであることを認識し、ゲイの友達が出来たのもこの頃だった。 ー20代半ばで東京での仕事を逃げるようにして辞めて、この街に移り住み、将来への不安に駆られながらも、毎日のように飲みはしゃいで過ごした日々。 ー30代は資格の勉強や仕事の忙しさに追われながら、ひとりで居ることの寂しさを知り、そして家族や友達・同僚のありがたさを学んだ10年だった。 中年オカマが、40歳になる前に何を感傷的になってるんだか、などと自分を失笑しながらも、 まだ続く人生の旅を、穏やかに続けていければと願っている。

道程

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「この週末って、30代最後の週末だね」 飲み屋で酒をひっかけていると、アメリカ人のN君がつぶやいた。 突然の指摘に、 「え、まだ来週もまだぎりぎり30代よ?」 と一瞬頭の中のカレンダーが混乱したが、よく考えると来週末はもう40になっているのだった。 40になるからといって、最後の週末だのなんなのと、そんなに30代にしがみつくつもりもないつもりだったのだが、 そういわれると、なんだか急に焦燥感に駆られる自分である。 ------------ そんな"30代最後の週末”は、友達の結婚式に出席して過ごした。 先日のメキシコシティでのゲイの友達の結婚式に続き、今回はサンフランシスコでの別のゲイの友達の結婚式。(ほんと今年は結婚式多くて、ご祝儀貧乏だわ・・・) ここのところ寒い日が続いていたのだが、今日は少し汗ばむほどの暖かく秋晴れの美しい結婚式日和だった。 今回の新郎と新郎はどちらもサンフランシスコのゲイの水泳チームに所属していて、そのチームの練習を通じて二人は出会ったという。 サンフランシスコ湾を臨む会場の中を見渡してみると、確かに出席者に体格のよいいいオトコ揃いなのは、みな水泳選手たちだからなのかしらん。 (式の最中も、思わずきょろきょろいいオトコチェックを止められない、中年オカマの悲しい性) 式の半ばには、日本の結婚式でもよくみられる、新郎達の子供の頃から現在までの写真、そして二人が出会ってからの写真のスライド上映があった。 自分がゲイかどうかも分からなかった少年期から、自分がゲイであることを悩んだ青年期、そして人生の伴侶を見つけた現在まで、スライドを通して、二人のこれまでの人生の道程を思うと、なんだか涙が出てきたわよ。 誰かがスピーチで言っていたが、今までのそれぞれの道程も二人が出会うためのものだったのだ。 そんなとても幸せそうな二人の笑顔を見ていると、自分までほっこり幸せな気持ちになってくる。 (じ、自分のこの人生の道程もいつかは二人のような幸せに繋がっていると信じていい!?) --------------------------- 両新郎の人柄が反映されたほのぼのとあたたかい式のおかげで、なんだか"30代最後の週末"も気持ちよく過ごすことができたなあ。

卒業

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「誕生日に何かもらえるとしたら何が欲しい」 とか、 「宝くじ当たったら何買いたい」 と聞かれても、 「なーんもいらない。欲しいものないわ。」 などと、つまらない答えをしている自分。 20代や30代前半の頃は、どこそこのブランド物のバッグや財布、流行の服のためになけなしの金を費やしていたのだが、 ここ数年は、全くと言っていいほどそういったことに興味がなくなってしまったようなのだ。 東京で新人サラリーマンやってた20年くらい前は、週末ごとに"アローズ"やら"シップス"で、新しい服を買って、次の週にそれを着て出歩くのを楽しみにしていたのだけど。 今じゃ、服やかばん(やアンダーウェア・・・)も、"前着ていたものが古くなった”とか”穴があいた”とか言った時に、今まで持っていたものと同じようなものを、買い求めるくらいだ。 こんなんじゃ、オカマの風上にもおけないでねーの! ものに対する欲って、年をとるごとに薄れるものなのかすら。 --------------- そんな偉そうなことを言いながらも、仕事の昼休みや仕事帰りにたまにひとりふらりと立ち寄りたくなる店が、今もいくつかある。 ひとつは、サンフランシスコ発の陶器屋さんの「 ヒースセラミックス(Heath Ceramics) 」。 会社の近くのフェリービルディングにもお店があり、ランチを買いがてら顔を出してみる。 値段は安くないので、無暗やたらには手を出せないのだが、昨年その店で見つけたコーヒーカップは、地味な形と青の色合いに一目ぼれし購入した自分である。 家でお茶を飲むときも、(ハゲ薬を飲むときも・・・)、何にでも使っているお気に入りだ。 週末参加するゲイ友達の結婚式のギフトリストにも、この店の商品が指定されていたから、かわいいもの好きのオカマにも人気の店なのかもしれない。 もうひとつは、会社の裏の通りから少し行ったところにある、化粧品屋の「 イソップ(Aesop) 」。 乾燥がひどいカリフォルニアに住み始めてから、乾燥肌防止のために、ロクシタンやら何やら色々ボディクリームを試したのだが、イソップの香りが一番自然で男がつけてもくどくないのが良い!という勝手な結論となった訳(オカマのくせに よー言う)。

写真

「来週、プロフィール用の写真撮影あるから、必ず申し込んで参加してね」 と、職場のマーケティング担当からメールが入った。 クライアントに提出する提案書や、セミナーでの資料に載せる自分の写真は、もう長いこと古いもの(7、8年前に撮ったやつだわ)を使っていて、若手の同僚に言わせると、こういうのは"詐欺写真”と呼ばれるようなのだ・・・。 "確かに当時はもっと痩せてたし、顔もこんなにたるんでなかったけどさぁ!" "メンズネットジャパンのフォトメじゃあるまいし(古いオカマ)、別にだましてるわけじゃねーし!” などと内心思ったものの、 これを機会に(30代のうちに...汗)、一度プロにちゃんと撮ってもらうのもいいかもしれぬ、と撮影に申し込んだ。 -------------- しかし撮影前日は、仕事の激務で数時間しか寝れず。 それでも少しでもたるんだ顔が解消されるようにと、朝っぱらから滅多にやらない顔面マッサージをしてから出社した、往生際の悪いオカマよ・・・。 指定された時間になり、撮影会場となっているオフィスの会議室の一室にスーツジャケットを羽織って向かうと、数人が列をなしていた。 自分の一つ前の若手の男の番になると、その彼はもっと明かりを明るくしろだの何だのと、カメラマンにやたらと長々注文をつけている。 "そんな注文つけて撮ってもらっても、大してかわんねーだろーよ” "相手はプロなんだから任せておけばいいじゃないのよ” "おめーは、オカマか!” などと内心悪態をつきながら、そのやり取りを聞いていた。 さて、自分の番になると、そのカメラマンは、何も言わずとも、ささっとスーツの襟やネクタイを直してくれ、その後、カメラをカシャカシャと数回シャッターをならして、あっさり終了となった。 今撮られた写真は、その場でコンピュータのスクリーンに映し出され、4枚あるうちの1枚を自分で選べるという。 どれどれ、と微かな期待をしないながらも、いそいそとそのコンピュータのスクリーンを覗くと、 そこには--------------------------------- 食レポを終えたばかりの------------ 顔パンパンの-------------

秋桜

仕事場での繁忙期が終わる直前の夜遅くに仕事をしていると、日本人の同僚からメールが入った。 日本の家族に緊急の事態が起こり、急遽明日の便で日本へ帰るという。 その時は詳細も分からず、 「大丈夫? こちらで出来ることはするので、何でも言ってね」 と返事を送ったのだが。 数日後、その同僚のお母さんが亡くなったと知らせが入った。 前から長く病気をしていたとか、そういった話は聞いてなかったので、突然の知らせだった。 お母さんが逝かれる前に間に合って、話すこともでき、家族みんなでお見送りすることができたと聞いて、悲しい話だけれどもその一方で、"間に合って話せてよかったね”とほっとしたのだった。 ------------------------- 「あたしたちも、家族、友達、自分自身に、こういう話が増えてくる年代になったのよ」 元同僚の女子もその話をきいて、ぽつりとメッセージを送ってきた。 幸い、まだ自分の両親は元気にしてくれているが、この同僚のお母さんのように、いつ病気になって倒れるか分からない。 ましてや、これだけ離れた場所に暮らしているから、なかなか会えないし、もしなにかあったとき、別れ際に立ち会えるかも分からない。 「だから、会える時には会って、親孝行するの。"ありがとう”の気持ちつたえなきゃ。母さんに結婚がどうこうとか言われるのは面倒くさいんだけどね」 と、つい先週まで親孝行のために日本に帰っていた、K枝は言う。 一人っ子のK枝は、毎年帰る度に父母を温泉旅行に連れていってあげるという。 自分もこの冬に日本へ帰るときは、ちゃんと母ちゃんに”ありがとう”の気持ちを伝えなければ。 40年間、こうやってなんとか元気でやっていられるのも、母ちゃんが元気に産んでくれてここまで育ててくれたおかげだ。

太陽

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仕事の繁忙期も落ち着き、今日は久々に空が明るいうちに会社を出ることが出来た。 家に着き、帰り道のスーパーマーケットで買った安ものの白ワインを開け、夕焼け色の空を眺めながら一息つく。 この1ヶ月は、肉体的にも精神的にもしんどかった。 仕事場でのミスやストレスな出来事が続いたり、寝不足で体力も落ち、気分的にもすっきりしないもやもやした日々だったのだ。 振り返ってみると、毎年この時期は、何となく心身ともに低空飛行になる気がする。 以前、 大学の先輩でもあった友人 が、 「毎年、誕生日前の数週間は、バイオリズムが下がるんだ」 と言っていたのを思い出す。 バイオリズムや運勢うんぬんはよくわからないが、確かに一定のタイミングを伴って、心身ともにダウンする時期が来る気がする。 この40年を振り返っても、年がら年中、毎日を肉体的にも精神的にも絶好調で過ごせる訳はなく、波があるということは分かっている。 いいことがある分、そうでないこともやってくる。 どちらも永遠に続くものではなく、波のように順繰りにやってくるのだ。 そう考えると、こんな心身ともに低空飛行の状態も今だけであって、またのぼり調子になれる気もしてくる。 その時が来るまで、今は槇原の『太陽』でも聞きながら(オカマ)、この雨雲が去って太陽がまた顔を出すまで、辛抱しろってことね!? --------------------------------- ワイングラス片手に、ふと携帯のカレンダーをみる。 30代後半を、"健康優良男児"の40歳になるべく日々を過ごしてきたが、それもあと10日で終わりじゃないのよ! 10年前、サンフランシスコの道端でであった同じ大学の後輩でもある台湾人の若造君に、 「先輩、40才で亡くなります!」 などと、いわれたが、 そんな気配は一切なく、30代残りの10日を無事に過ごせる気がしている。 40代へのカウントダウン開始だわよ! 飲むわ! (毎日更新できるかすら!?)

Bridge Over Troubled Water

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朝の5時、いつものように尿意で目が覚めた(ジジイ)。 寝室からトイレへ向かうと、何だか煙臭い。 まさか!?とキッチンへ駆け込むと、火は上がっていない。 気のせいかしらん、と思いながらも、ふとベランダの外を見ると、サンフランシスコ湾の向こう側が全く見えない。 季節はずれの霧かしらねと独り言ちて、その時はベッドに戻ったのだが、 その頃、サンフランシスコの北にある、ワイナリーや美しい自然で知られるナパ、ソノマのエリアは山火事で大変なことになっていたとは、朝のニュースで知ったのである。 ------------------------------- この1週間は、昼間でも夕方のような空模様で薄暗く、外は煙臭くて、みな咳をしながら歩いていた。 冬の東京の通勤列車では、マスクをしている人を大勢みかけるが、サンフランシスコでこれだけの人がマスクをして通勤しているのをみるのは、今までではじめてだ。 前にK枝やY子と泊りがけで行ったサンタローザの静かなホテルも、仕事のクライアントの美しいワイナリーも、この山火事で無くなってしまった。 大勢の人が家を一瞬にして失い、避難生活を送っている。 行方不明者も大勢いるようだ。 職場では、この 山火事の被害者への救援活動などにあてられるという寄付 を募っていたので、少しでも被害者の役に立てればと、参加したわ。 仕事帰りにオカマの街カストロを歩いていると、お兄さんたちがこの週末に救援物資の寄付を募ってまとめて現地に送ると言っていたので、明日は缶詰やペットフードを買ってそこに持っていくつもりだ。 ------------------------------ ふと、窓の外をみると、怖いくらいの真っ赤な夕焼け空がサンフランシスコの街をつつんでいる。 煙の影響で空の色がいつもと違うみたいだ。 「サンフランシスコだって、いつ地震に見舞われるか、わからないよね」 と友人が言う。 この美しい街の風景も、災害でいつ失われてもおかしくないのだ。