Forget me not

よく晴れた6月の日曜日。

締切の近い仕事が残っていたので、朝からコンピュータの画面に向かいながら仕事をこなす。

そして、小腹が減ったら日本町のスーパーマーケットで買っておいた、好物のソフトサラダやら歌舞伎揚げやらを永遠につまんでいると、なんだか本当に不健康な生活をしている気がしてくる。

ふと窓の外をみると、雲一つない青空で、新緑が風に揺れている。

同業女子のM子は、朝からジョギングがてら近所のファーマーズマーケットに出かけたという。

オカマ仲間のK枝は、週末はゲイのテニスサークルで、がっつり運動している。

自分はと言えば、、、

ハワイ旅行で爆食い&爆飲みしたせいで、"かっこいいことばかり言っても、お腹がでてきてしまった (C)森高千里"、ただのブスの中年である。

「こりゃいかん!」

と独り言ち、仕事のコンピュータを急いで閉じて、運動がてら久しぶりに近所を一人散歩することにしたのだった。

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自分がアメリカでの生活をはじめた1年目から、ずっと一緒にいてくれた愛するわんこが亡くなったのは、7年前の6月18日であった。

近所の散歩道を歩くと、当時わんこと一緒に毎日のようにここを歩いていたのを、今でも鮮明に思い出す。

"わんこがこの道のここの角で突然ゲロはいて、心配になって急いで動物病院に電話したわよね"

だとか

"あの家の庭の花がお気に入りで、ひとんちなのに勝手に庭に入って立ち止まり、あの花の香りをくんくん嗅いでたよなぁ"

など、記憶はついこの間のことのようである。

そしてそれと同時に、亡くなる前の病気に苦しむわんことの、悲しい日々も思い出す。

"あら今年、ちょうど七回忌じゃないの?"

などと一瞬考えたが、カレンダーを見ると、亡くなって6年目が七回忌であるから、コロナのばたばたを言い訳にそんなことも思い出してあげられずに、去年すでに七回忌は過ぎてしまっていたのだった・・・。

うっかり忘れてしまったのは、あれだけ悲しみ、落ち込んだことも、時間薬が癒してくれた証拠なのかもしれない。

先日、会社の上司のところの犬が、体調を崩し入院したという。

N君のいとこのところの犬も、癌が見つかりいつ亡くなってもおかしくない状態だという。

そんな話を聞くと、-きっと自分が犬を飼い別れを経験するまでは理解し得ぬものだったかもしれぬがー、彼らの心配と不安が痛いほどわかる。

(動物病院で保険もきかないと、金もかかるのよね~~)

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さて、そんなわんことの歩きなれた住宅街を歩いていると、隣人宅の庭に咲く花々や、道の植えられた木々の葉をみるのが自分でも楽しみになっている。

20年前、東京に住んでいた頃ならば、花々や木々の美しさよりも、酒と美しい男たちに目を細めたものだが(今も大してかわんねーか・・・)、人生を半分折り返し、幾度との別れを経験し、この人生の時間に限りがあることを学んだからなのか、酒や男どもよりも自然の美しさが目に入るようになった。

時々気が向いたら、我が家の狭いベランダでも種からまいて、小さな芽が出て花を咲かせるのを楽しみに待っている。

もはや、中年どころか老人のような心持ちだが、そんなベランダの小さな花をみては、わんこが濡れた鼻をくっつけて花の匂いを楽しんでいた横顔を思い出すのだった。

あれから7年の時が流れて、やっと笑えるのよ (C)聖子


君がおしえてくれた花の名前は
街にうもれそうな小さなわすれな草 (C)尾崎
我が家の狭いベランダに咲いたのもわすれな草



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