4月になるとここへ来て 卒業写真めくるのよ

「A子ちゃんちに遊びに行った時に、あんまりにも部屋が散らかってたから、

『あんた赤ちゃん生まれたんだから、ちょっとは家片付けたらどうなの?危ないじゃないの』

って言ってやったの。そしたら、

『Y子さんこそ、いい加減片付けたらどうなんですか?昔の男達との思い出とか!』

って言い返されたの! どゆこと!?」

オカマ友達のY子が、元同僚の女子の家に、最近生まれたばかりの赤ちゃんを見にいったら、その女子とこんなやりとりになったという。

確かに、最近良い出会いのないY子から、

「もう少しあたしがあの時我慢してたら、あの男とうまくいってたかもしれない・・・」

とか、

「携帯の中身を整理してたら、あの時の彼の写真が出てきたんだけど、何であたし削除しないで持ってるんだろ・・・」

といった、昔の男達を恋しがるどうしようもなく湿っぽい内容のメッセージが、朝っぱらから届いたりする。

そりゃ、元同僚女子に手厳しく言われても、何も言い返せねーだろうよ。

そんなY子とのやりとりを思い出しながら、ひとり地下鉄に揺られていたら、シャッフルに設定していた携帯のイヤーフォンからジャズピアノが流れ出した。

「あ、これ・・・。」

数年前に、自分が一時恋愛めいたことをしていた、ピアノ好きの小児科医の男からもらった、"Oscer Peterson Trio"や"Art Tatum"等のジャズピアノの曲を集めた、彼の手作りのCDだった。

その時は「この男と一生つきあっていくのかもしれないわ、あたし?!」と、はじめて恋に落ちた中学生じゃあるまいし、下らない妄想に耽っていたのも、今じゃ人には言えない恥ずかしい思い出である。

当時はよくピアノバーで一緒に飲んだり、彼の家のグランドピアノ弾かせてもらったりしたわよね・・・。

結局、それは短いひと夏の恋で終わり、今じゃ未練も何も残っていないが、ふとしたきっかけで、こうやって昔の男を思い出してしまうのは、どうやらY子だけじゃないらしい、と思わずひとり苦笑する自分であった。

サンフランシスコ、特にこの街のゲイ社会は狭いので、街を歩けば昔出会った男とすれ違うことは多々あるし、ふとしたことが当時付き合ってた男を思い出させることもある。

「あたし、キッコーマンの醤油差しを見るたびに、あの彼のことを思い出しちゃうの!」と、その昔ハンサムなフォトグラファーと一時期恋に落ちていたK枝が言っていたが、一体K枝は、キッコーマンの醤油差しに彼とのどんな思い出があるというのだろう・・・。

----------------------
同業の女子友達のM子ちゃんから、お気に入りのイタリア料理の店「Aperto」が今月いっぱいで店を閉じるらしい、と情報が入った。

街の外れの丘の上にある「Aperto」は、M子ちゃんと若かった頃に、週末よく資格試験の勉強を一緒にしたあとに通っていた店であり、また当時住んでいた日本人仲間とも何度となく訪れた思い出のある店だった。

特にすごくおしゃれな店という訳ではないが、アメリカナイズされていない本場の素朴なイタリア料理を出す店で、24年間続いていたというその店が、新しいビルのオーナーと折り合いがつかず、もうなくなってしまうと思うと、何だかとても悲しい。

というわけで、今夜の夜飯はApertoでイタ飯だよ、とタクシーを飛ばして町外れの丘まで行って来たわ!

テーブルに塩・コショウをおかない、というのがこの店のルールだ。
店員さんも、つかずはなれずの丁度良いサービス。

この店はなくなっても、オークランドにある姉妹店は続いていくという。

ひと夏の恋の、そのピアノ好きの小児科医の男は、その後、サンフランシスコの家を売り払いハワイに引っ越していったと、風の便りに聞いた。

人も街も店も移り往く。

40年近く生きていると、永遠に続くものなどないのだ、と経験で分かりはじめている。




コメント

匿名 さんのコメント…
M子です。同じ土地が長くなると、去っていく人、店じまいするお店など増えて寂しくなるけど、一緒に勉強して築いた友情と資格だけはしっかり守っていきましょう。油断してると泡のようになくなってしまうから。
samurai sf さんの投稿…
匿名のM子さん

本当ですね。繁盛していた店がなくなってしまったり、仲の良かった人が疎遠になったりと、ふとしたことで今まであったものがなくなってしまう、という儚さをひしひしと感じます。人生最後の試験勉強をした友情と資格(こちらは更新しないとあっさりなくなりますねw)は大事にしていきましょう!なんつって。