哀しみは絶えないから 小さな幸せに気づかないんだろ
雨上がりの空。
雨雲の切れ目が、少し明るくなってきたので、いつものように散歩に出た。
いつもと変わらぬ平凡で静かな道を歩きながら、昨夜、日本に住む、中学時代の吹奏楽部仲間の女子から、真夜中に届いたLINEのメッセージを思い返していた。
彼女は、ウクライナの人たちのことを考えると、夜も眠れない日々が続いているという。
いつもならば、ふざけ合っている彼女たちと、戦争と平和について話し合った。
そして、
「うちらは、彼らの為に今、出来ることをしよう」
ということで、
自分も、微力ながら、ウクライナ・難民支援の団体に募金をしたのだった。
春の北カリフォルニアは、ウクライナ色 |
「FLEE」というタイトルの、実際にあった話をアニメ化したドキュメンタリーである。
祖国で安全に住むことを許されず、ロシア、そしてデンマークへ難民として渡らねばならなかったゲイの青年とその家族の物語を観て、21世紀の令和のこの世にも、世界のあちこちでこういったことが起こっていることに、今更ながら、改めてショックを受けたのであった。
彼が家族にカミングアウトをしたあとに、 お父さんが彼をある場所につれていったシーンには 泣いたわ。 (C) NEON |
先週末。
「久々に焼肉食べたいな」
「久々に家焼肉やっちゃおうか」
ということで、いつものニジヤで、肉やらカボチャやらその他の野菜やらを買い込み、久しぶりに、狭い我が家をもくもくと煙り臭くさせながら、家で焼肉となった。
牛タンは、塩とレモンで。
カルビは、やっぱりエバラの焼肉のタレと一緒に。
冷蔵庫の奥に眠っていた、古い野菜たちも、全部食べちゃおう。
遠い昔、東京に住んでいた頃は、西麻布かどこかの焼肉屋に、仕事の後にスーツのまま、スーツに匂いがつくのも気にせずに、美味しい焼肉を求めて、よく向かったものだが、アメリカに住んでいると、そんなものは夢の世界である。
そんな日本の焼肉には到底及ばぬが、こうやって、異国で家で焼肉をするのも、それ程悪くない。
そんなことを思いながら、ふと、箸を止めて、窓の外を見ると、遠くに見えるダウンタウンのビル群の中のセールスフォースタワーは、ウクライナの国旗の色に染まっている。
今、この瞬間、
食べたいものも食べられずにいる人がいて、
一緒に居たい人とも居れない人がいて、
空を飛んでゆく軍用機に、自由に散歩をすることも、家でゆっくり眠ることすらできない人がいる。
なんて辛くて悲しいことなんだろう。
自分が、こうやって今のところ平穏に暮らせている一方で、
ウクライナや、先のドキュメンタリーのように、命を危険をさらしながら生きている人がいることに、本当に心が苦しくなる。
自分は、
N君と喧嘩もするし、
仕事は大嫌いで不満ばかりだし、
血圧は薬をとっても全然下がらないし、
日本の家族にはもう長いこと会えてないし、と
日々の不平・不満は、いろいろあるけれど、
今自分が当たり前のように持っているものごと-
食べたいものが食べられること、
散歩をしたい時に外を歩けること、
静かに休める寝床があること、
家族がいること。
決して、当たり前のことじゃなく、
有難いことなのだ、
と、改めて思ったのだ。
コメント
私は病に罹患してからずっと、毎日毎日不安と恐怖で気持ちが晴れることがなく、笑うことが減った代わりに不満が多くなりました。辛い治療に耐えながらも、運動もして食べる物にも気をつけているのにどうしてだろう、私よりいい加減な人が沢山いるのに、そういう人達は幸せそうにやっていると随分ひねくれた人間になりました。この病気から完全に開放される日は来ないかもしれないけれど、先を先を見て更なる不安を抱えるのではなく、この一瞬、そして今日という一日をまずは丁寧に生きてみようと思いました。そう決めたのは何年前だろう。それでもまだそうなりきれていません。
そんな日々でも、雨風凌ぐ家はあり、食べる物もあり、健康な夫と子供もいる。それどころか、この医療費の高いアメリカで世界一の医療を受ける事ができるし、そのおかげで日本へ帰省することもできるしいつでも万端の準備をして受け入れてくれる家族がいる。こうして文字にしてみると、不幸どころかラッキーではないかとさえ思います。
うまくまとめる事が出来ませんが、気づかせるではないけれど、どちらかと言えば今現在負の方に停滞中の私を引き上げてくれるようなSamurai SF さんの今日のポストに感謝です。
純粋で心優しいSamurai SFさんが良い一日を過ごせますように。
ふわりさんが辛い治療を始められたことや、体の痛みがあったお話、朝起きたらパラレルワールドで病のない生活になっていないかと書かれていた話など、ふわりさんのブログでいつも拝見しお気持ちをお察ししていました。
ふわりさんが笑うことが減ってしまって、その代わりに不満が多くなってしまうのは、致し方ないことだと思います。決してひねくれた人間というわけではなく。もし自分が同じ状況でしたら、きっと自分は、不満だらけの日々で、何もしないどころか、部屋に引きこもってしまうんじゃないか、と思います。その中で、ふわりさんは、できる範囲で、ご家族にセントパトリックデーのディナーや、手作りコロッケ(どれも美味しそう!)を作られたり、運動できる時には散歩もされていて。尊敬します。
自分も今回、こうやってブログでは、なんだか偉そうに、ウクライナや難民について書きましたが、結局、当事者の本当に大変な経験、辛い気持ちは、決して理解できていないのですが・・・。それどころか、今自分が持っていることのありがたさを感謝するどころか、すぐにそんな気持ちも忘れて、また日々の不平・不満を口にしてしまっています・・・。
昨日も、小雨の中、ひとり散歩をしていたら、少しずつ空が明るくなって、雨が止み、雨雲からきれいな青空が見えてきました。雨上がりは、空気も澄んでいて、木々や花々の匂いが強く感じられて、気持ち良いですね。ふわりさんが、日々の病との日々の中で、お気持ちが晴れることがないとおっしゃってましたが、こんなふうに雲から青空がふと見えるような感じで、心が少しでも平穏で明るくなる日が増えますように、サンフランシスコ湾の反対側から、お祈りしてます。
コメントをいただきありがとうございます。
本当に、当事者の方々の辛い日々に、思いを寄せることは、難しいですね。当事者ではないものの、ニュースを見て眠れなくなってしまった、まだ小さい子供を子供を持つ中学時代の友人は、あまりの辛さに、ニュースから少し離れるようにしているようです。自分も、せめて、何かできないかと、特に人道支援をする団体に寄付をしました。