どんなに高いタワーからも 見えない僕のふるさと

毎年、夏の今の時期か、あるいは冬のクリスマス・正月前後に日本の実家に帰っていたのだが、このコロナ禍で予定も立てられず、もう2年程日本を訪れていない。

"次はいつ日本に帰って、親や友人に会えるのかしらん…"

仕事中に、カレンダーを眺めながら、ふとそんなことを考えていたら、同じくこの街に住む同僚女子のM子からLINEにメッセージが届いた。

「もう、日本帰ろうかな。」

どうしたのと話を聞いてみると、休暇で日本に帰るのではなく、もうここアメリカでの暮らしを引き払って日本に戻ろうかと、本気で考えているのだという。

今まで、M子の口からそんなことは聞いたことがなく、狭っ苦しい日本よりも、ずっとアメリカに住んでいたい!というような子だと思っていたものだから、心底驚いたのだった。

だが、海外在住、あるいは日本でも親元や実家を遠く離れて暮らす人たちにとって、きっとこれは誰もが持つ永遠の悩みなのかもしれぬ。

20歳そこそこでアメリカに渡り20年近く日本を離れて暮らしている間に、理由は様々あるものの結局日本のほうがいいわ、と多くの日本人の仲間達がこの国を去っていくのを見送ってきた。

自分も若い頃だったならば、誰かが日本に帰るのを決める度に、

「いいなぁ。確かに日本はご飯も美味しいし、あたしも日本に戻りたいわ。」

などと、半分本気・半分冗談でよく言ったものである。

しかしこの歳になると、冗談なしに、恐ろしいほどに高いアメリカの医療費・保険料や住宅費など、未だにままならない言葉の問題、その他諸々のことを考えると、リアルに老後この国で生きていける気がしない。

LAに住む日本人のゲイカップルも、近年中にLAを引き上げて日本に戻ることを考えているという。

このご時世で、仕事もリモートで問題なくできることがわかったから、老後を待たずに九州あたりに引っ越して二人で暮らしたいらしい。

そういえば、会社の日本人の上司も、静岡かどこか東京からそこそこアクセスが便利なところに家を買って、老後は静かに暮らしたいと言っていた。

先のM子と、

「いろいろ考えたら、老後を待たずにやっぱり日本帰ること考えるわ。」

「でも、仕事どうしよう。未だに年齢差別がある日本で、うちらみたいなジジババを雇ってくれるところ、あるかしら・・・」

などと真面目に話していたら、ふと我が家にはアメリカ人のN君がいることを思い出した(遅いw)。

N君に、

「日本に引っ越すのって、どう思う?」

と問うてみると、以前、奈良と大阪に住んでいた彼からは、

「日本いいね。風呂も温泉もあるし。」

と能天気な答えが返ってきた。

しかし、外国人が日本に住むのにもビザが必要だし、日本では同性婚も認められていないから、現状では配偶者として彼を日本に呼び寄せることはできない。

そして何よりも、会うたびに年をとってゆく家族の心配がある。

今後、コロナが落ち着いたとしても、年に一度仕事の休暇で日本に帰って元気な親に会える機会は、あと何回あるのだろう。

「親が元気なうちに、近くに住んで、温泉や旅行に連れていってあげたり、親孝行したいの。親が病気になってからじゃ、遅いのよ。」

そんなことを、M子と話していたら、自分も本気で日本に戻ることを考えなきゃいけない気がしてきたのであった。

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「N君の誕生日、もうすぐだったよね。この前船便で送った荷物に、N君の誕生日カード入れ忘れちゃったわ。ごめんね。」

と、日本の母から絵文字付きのLINEのメッセージが届いた。

コロナ禍でワクチンの予約をとるのも、妹が手伝ってくれたからなんとか取れたと喜んでいた母。

いつも、父とNHKでサンフランシスコの天気予報をみては、我々の体調を気にしてくれている。

一方、自分は遠いところで離れていて、彼らのために何もできていない親不孝息子である。

もし自分が日本に住んでいたならば、先のM子の言うように、いつでも電車に乗って当地の駅弁を食べながら近場の温泉に行ったり、生まれ故郷の礼文島や青森・鹿児島にも連れていってあげられるのになぁ。

何年も前に撮った、家族との写真をひっぱりだして眺めている。

家族みんなで、静岡の網代温泉に行ったのももう7年前のことだ



2年前 横浜の地元でやっていた劇団四季のミュージカルに
母と二人で行ったのを思い出した



同じく2年前に母と銀座でうな重食べたのが
自分が最後に食べたうなぎである



京急線の改札で電車に乗る母の後姿を見送る






コメント

ふわり さんの投稿…
こんにちは。
あぁ、まさしく同じ気持ちです。特に、このパンデミック生活中に本当にこのままアメリカに住み続けることが出来るのか、それが本当に幸せかと考える出来事が沢山あり、事あるごとにネットで実家周辺の物件なんか探したりしています。

昨年急逝した母の葬儀にも出られず、父は父でいくつも病を抱え、この先どのくらい会えるのだろうかと考えます。samurai sf さんのご両親に対するお気持ち、痛いほど分かります。

私は結婚後2年目から宮崎と福岡に夫ともに計8年ほど暮らしました。夫は日本語が出来ないことが一番の原因だったと思いますが(それでもひらがなとカタカナはそれはそれは頑張って習得しました)、当時、駐在以外の外国人の仕事といえば小中校での英語講師。まるで自分がピエロのようだと卑下し、友人もなかなか出来ず、鬱っぽくなってしまいました。今はそれこそリモートも可能なので、状況は違うかもしれませんね。

若かった頃は、アメリカの食べ物も美味しくいただけ、夫ともにビーチだハイキングだと行ける元気もありましたが、今はもうチーズだバターだ肉だと食指が動かず、屋外アクティビティに付き合うエネルギーもなくなってしまいました。独身だったらおそらく、M子さんのように本帰国がかなり現実化していたと思います。

頑張りましょうという言葉も何を頑張ればいいのか分かりませんが、お互い体だけは大事にして頑張りましょうね。

samurai sf さんの投稿…
ふわりさん

こんにちは。娘さんとの日本帰省のブログ、楽しみに拝見していました! 自分も父が九州なので、次に日本に帰るときは、九州の美味しいもの食べたいわ~と、最近夢見ています。

自分も東京や実家の横浜、そこから新幹線で数時間の範囲内の物件なんかを半分冗談・半分本気でネットで調べて、「もし日本に戻ることになったら」と、探しては日本での生活を描いています・・・。(それにしても、こちらと比べて、日本の物件の安いこと・・・!)食べ物については、もうほんとに、ベイエリアのどんなに高いレストランの食事よりも、日本の安い定食屋のランチのほうがよっぽど満足度が高いという気持ちです。(味も値段も!) 

ふわりさんの旦那さんも日本で暮らしていたんですね。うちのN君も、日本での生活経験はあり、「日本に住むのもいいね~」などと軽く言っていますが、今後ずっと日本に住んでいくとなると、色々と諦めないといけないことも出てきて、そうそう楽しいことばかりじゃなさそうな感じです。。。

逆にアメリカのお気楽なところはストレスも少なくいいのかもしれませんが、医療費やらなにやらを考えると、今後もこっちに残ったほうがいいのか、すぐにでも日本に帰って生活を構えたほうがいいのか、答えがすぐに出てきません・・・。

どちらにしても、このご時世、コロナ禍が落ち着くまでは、お互い健康だけは気を付けて、なんとかやっていきたいですね! ふわりさんのブログ更新いつも楽しみにしています。(日本に帰られている間、はじめ更新がなく心配してました :) )