めぐり来る季節ごとにこの手からこぼれ落ちるもの

「繁忙期終わったら、みんなで休みとってヨセミテにキャンプ行こうよ!」
「久々に実家のフィラデルフィア戻って、地元の仲間に会いに行こうかな」
「昼間から球場でビール飲みながら、ジャイアンツの試合観たい!」

あと数週間で終わる繁忙期の最中に、若手のスタッフたちがわいわい騒いでいるのを遠くに聞きながら、自分は机に向かってお見舞いのカードを書いている。いつもぎゃあぎゃあ一緒にやっていた同い年の日本人の同僚女子が、乳がんの手術で明日から地元の大学病院に入院するのだ。

幸い、ステージ1より手前の段階ということで、本人も自分たちの前では今まで通り馬鹿騒ぎしながら、「笑うと"細胞"にいいっていうから、最近はネットで日本のお笑いばっかみてんのよ!あたし!ぎゃっは!」なんて、元気に振舞っていたけれど、きっと不安でたまらないだろう。

彼女の入院と前後して、日本人上司が倒れて昏睡状態にあるという知らせを受けた。直接この上司とやりとりをしたのはほんの数回だけれど、真面目に細かく部下の仕事をチェックしてくれる頼もしい上司だった。

「確かに朝から晩まで、週末も休まないであれだけ寝ないで働いてたらぶっ倒れるよ」というのが、日本人の同僚の一致した意見だったけれど、"過労"という概念がないこの国では、それを理解するのは日本人だけなのかもしれない。

今は、若手のスタッフに「まだ若いあんたたちにはそれほど縁のない話だわよね」なんて横目で無言の視線を送りながら、こうやってお見舞いのカードを書いて、同僚女子にもこの上司にも、どうか元気になってまた戻ってきてください、と祈るだけだ。

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4月に入り、朝、うるさいほどの鳥たちのさえずりを聞きながら、家からバス停へ向かって歩いていると、小道の花の香りが強くなってきたことに気づく。

どんなに仕事が忙しくても、そういったことに気づいて、それを愛でるくらいの心に余裕がある自分でいたいと思う。

この業界に入って大分長くなり、ここ数年は、上司から「上にあがって部下を仕切る立場になって欲しい」と言われ続けている。ありがたいことだけど、なんとかその場をごまかしながら断り続けている自分。

より重い責任を背負うことから逃げているのもそうだけれど、先に書いた日本人上司のように、余裕を失い、倒れるまで働かなくてはいけない状況になってしまう、というのが怖いのだ。

10年前の自分ならば、「やっぱり、どんどん上に上って、じゃんじゃん稼いで、きらきらしたセレブな生活を満喫したいわよね?」なんて、夢みていたけれど、今は「今ある、小さな幸せと心のゆとりと健康な生活を守ること」のほうが重要だとはっきりと言える。

年、とったのよね。


自宅からの小道。晴れた空が好きです。(C)南野陽子



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