20 years

自分のスマホには、写真の管理用アプリがいくつか入っていて、大して使いこなせてはいないのだが、時々、「何年前の今日のあなた」みたいな写真を自動的に見せてくれる。 5月18日。 今日もいつものように、朝起きて、家の近所を3、40分ほど散歩してからシャワーを浴び、仕事机に着くと、スマホにそのアプリから通知が来ていた。 開いてみると、20年前の今日の日付の成田での出国スタンプがパスポートに押された、写真だった。 20年前の今日、東京での生活を引き払い、サンフランシスコに引っ越してきたのだった。 20年というと、途方に暮れそうな大昔のようだが、その日のことははっきりと覚えている。 元々、3ヶ月とか半年とかそんな予定で語学学生としてやってきたのが、まさか20年もこの街に居座ってるとは、自分でも驚いてしまうわな。 同じように日本からこの街に越してきて、まだ住み続けている友人たちも、20年選手である。 「こんな長居するつもりじゃなかったのにね」 「早々、日本に帰国してたら、今と全然違う生活をしていたんだろうね」 などと、そんな彼らと話したりする。 20年前の自分は、シワも白髪もない、高血圧の薬など飲んでいない、若き20代の青年だったはずだが、今の自分と比べると、見た目や健康状態こそ変わったが、中身は大して変わってないような気がする(英語力も…(苦笑))。 渡辺美里さんの曲で、10 yearsという曲がある。 ”あのころは何もかもが大きくみえた” "あのころは何にでもなれる気がした" 確かに、そんなふうに、20代も半ばで、夢や希望を持って、この自由の国にやってきたはずだったが。 はて、その頃の自分が、今の自分をみたらどう思うだろう。 好きでもない仕事のストレスを抱えて、毎日忙しなく生きている、中年サラリーマンの姿に絶望するだろうか。 あるいは、 それでも、この国での同性婚が認められる過程を肌で感じながら、その後、自分もなんとか相手を見つけられて結婚し、それなりに仲良く暮らしている中年ゲイカップルの姿に希望を見出すだろうか。 "振り向かない 急がない 立ち止まらない” "あれから20年も” "この先20年も" 時の河を超えて、遥か遠い大陸を目指したのは、 うしろ髪ひかれ隊でしたが、 アメリカ大陸を目指したのは、 うら若き20代...