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朝がまた来る

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6月の末に、欧州で早めの夏の休暇を過ごし、帰国後早々にコロナに罹ったりと、しているうちに、あっという間の2ヶ月が経っていた。 朝起きて、散歩をして、仕事をして、食事をして、(酒飲んで?)、寝て、また起きて、と日々同じことを繰り返していると、この2ヶ月、他に何をやっていたのか、咄嗟に思い出せない。 そんな日々の中、日曜の今日も、いつものように早々6時前には目が覚め(ババア)、朝の散歩もジムもサボって、ダラダラと過ごしながら、スマホを開くと友人の訃報の知らせがあり、ついさっき弔電の手続きを終えたところだった。 その弔電の内容を考えながら(マナー上、あまりプライベートなことは書かないほうが良いそうなのですがね)、それほど多くはない彼との思い出を振り返っていた。 その友人とは、年中連絡を取り合うほど親しい仲ではなかったが、彼が学生時代の頃に就職活動の相談に乗ったり、あるいは彼が仕事でサンフランシスコを訪れたときには、食事をしたり飲みにいったりしていた。 彼は長いこと闘病生活を送っていて、SNSで頻繁に彼のその状況を伝えてくれていたのだが、ここ何週間か、その更新も途絶えていた。 今年の初めだったか、”今年の自分の誕生日までは生き延びたい”とSNSで語っていた彼だが、8月の半ばが誕生日だったその彼の、その目標は達成できたようで、自分はただただ、”目標達成できたね。これからは辛いことから解放されて、空の上で美味しいものいっぱい食べてね!”と、祈るだけである。 朝起きて、散歩をして、仕事をして、食事をして、寝て、という何気ない日々の、1日1日の大切さを改めて思いつつ。 Hちゃん、来世でまた会いましょう! 昨年の日本国内旅行中に購入した 富山のワイナリーのロゼ。 Hちゃんと、ナパのワイナリー行きたかったな〜。

この大空の虹になりたい。希望に届く虹になりたい。

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例年の如く、6月に入るとサンフランシスコの街は虹色に染まる。 大通りにはレインボーフラッグが掲げられ、我が家の裏の丘にはピンクトライアングルが姿を表す。 そんな中、同年代のゲイの友人から、仕事中にLINEでメッセージが届いた。 サンフランシスコで同性婚をしたときの手続きについて知りたいという。 「結婚するの!?」 と問うと、まだその年下の彼にプロポーズもしていないんだけど・・・という答えが返ってきたが、詳細を聞いてみると、すでにその彼のお母さんには相談をしたりしているという。 そんな話を聞いていると、他人事ながらもとても嬉しくなり、思わず先輩風を吹かせて、あれこれと偉そうに、自分たちがサンフランシスコで同性婚をした時のことを、説明してしまう自分である(うざ)。 しかも、その彼の相手はアメリカ国籍ではなく、ビザでこの国に住んでいるので、そのビザが切れる前に結婚したいという。 10年も前だったならば、男同士での結婚、ましてや相手の親にそんな相談をすることなどなかったし、ましてやビザ問題で離れ離れになった同性カップルは沢山みてきた。 今は、こうやってまるでストレートの人々がかわす様なやりとりを、我々も"普通に"できることが、嬉しいのだった。 我が家のN君とも、付き合い始めて来年で10年。 結婚してからは3年が経ち、相変わらず時々喧嘩はするが、比較的穏やかな日々が続いている。 先月にはN君の両親が、日本(東京、箱根、京都)を旅行するということで、ホテル探しや何やらをN君と一緒に手伝ったのだが、そんな2人から 「本当に、良い旅だった。」 「やっぱり、日本は素晴らしい国だわ。」 などと聞くと、日本人の義理息子としては本当に嬉しく、一方で、 ”まさかオカマの自分が結婚して、しかも相手の親からこうやって日本旅行の話を聞いたりできるなんて、若かった頃は夢にも思わなかったわよね” と思うと、ありがたや〜と思わず涙が出そうになるのだった。 そんなアメリカでも、6月に虹色の旗が立つと、オカマのPrideを祝うなら、ストレートのPrideも祝うべきだ、などと言う人々は少なからずいるが、婚姻の平等が認められている今、そんな声を気にすることはない。 一方で、日本では、LGBT理解促進法が可決・成立したものの、蓋を開けてみると、マイノリティ保護どころか、マジョリティを保護するよ

20 years

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自分のスマホには、写真の管理用アプリがいくつか入っていて、大して使いこなせてはいないのだが、時々、「何年前の今日のあなた」みたいな写真を自動的に見せてくれる。 5月18日。 今日もいつものように、朝起きて、家の近所を3、40分ほど散歩してからシャワーを浴び、仕事机に着くと、スマホにそのアプリから通知が来ていた。 開いてみると、20年前の今日の日付の成田での出国スタンプがパスポートに押された、写真だった。 20年前の今日、東京での生活を引き払い、サンフランシスコに引っ越してきたのだった。 20年というと、途方に暮れそうな大昔のようだが、その日のことははっきりと覚えている。 元々、3ヶ月とか半年とかそんな予定で語学学生としてやってきたのが、まさか20年もこの街に居座ってるとは、自分でも驚いてしまうわな。 同じように日本からこの街に越してきて、まだ住み続けている友人たちも、20年選手である。 「こんな長居するつもりじゃなかったのにね」 「早々、日本に帰国してたら、今と全然違う生活をしていたんだろうね」 などと、そんな彼らと話したりする。 20年前の自分は、シワも白髪もない、高血圧の薬など飲んでいない、若き20代の青年だったはずだが、今の自分と比べると、見た目や健康状態こそ変わったが、中身は大して変わってないような気がする(英語力も…(苦笑))。 渡辺美里さんの曲で、10 yearsという曲がある。 ”あのころは何もかもが大きくみえた” "あのころは何にでもなれる気がした" 確かに、そんなふうに、20代も半ばで、夢や希望を持って、この自由の国にやってきたはずだったが。 はて、その頃の自分が、今の自分をみたらどう思うだろう。 好きでもない仕事のストレスを抱えて、毎日忙しなく生きている、中年サラリーマンの姿に絶望するだろうか。 あるいは、 それでも、この国での同性婚が認められる過程を肌で感じながら、その後、自分もなんとか相手を見つけられて結婚し、それなりに仲良く暮らしている中年ゲイカップルの姿に希望を見出すだろうか。 "振り向かない 急がない 立ち止まらない” "あれから20年も” "この先20年も" 時の河を超えて、遥か遠い大陸を目指したのは、 うしろ髪ひかれ隊でしたが、 アメリカ大陸を目指したのは、 うら若き20代

逢いたい時に、あなたはいない (大谷翔平に逢いに行くの巻)

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 TBSのポッドキャスト番組で、自分が好んで毎週楽しみに聴いている、「オーバーザサン」という、番組がある。 コラムニストのジェーンスーさんと、元TBSアナウンサーの堀井美香さんの、”おばさん”コンビがわちゃわちゃと、他愛もない話をしている番組なのだが、中年ゲイの自分にも頷ける事や懐かしいネタが多く、毎週金曜日から週末にかけて、散歩やジムのお供に聴いている。 その番組で、スーさんが、 「人生、推しがいると、楽しいよ!」 と、前々から話していたのだが、中年のおっさんの自分には心ときめくような、推しが長いこといなかった。 我が妹などは、韓国アイドルグループのBTSや、俳優のベネディクト・カンバーバッチ、あるいはキアヌ・リーブスを以前から大層推しているが、随分楽しそうである。 そんな中年男にも、この数年、推しとなる男が現れた。 ----- 大谷翔平選手である(キュン)。 会社の同年代の同僚とは、毎朝のようにYahoo!ニュースで得た大谷翔平選手の情報を交換し、この間ゲイの友人と食事に行った時には、 「ここだけの話だけど、あたし、大谷翔平クンと、付き合い始めるかもしれない・・・」 などと、ほろ酔った勢いで、とち狂った妄想を口走ったり、 なかなか寝付けない夜には、Chat GPTに "大谷翔平選手と結婚するには、どうすればいいの?1番の悩み" などと、これまたほろ酔った勢いで、広瀬香美めいた、とち狂った質問を投げたりする自分である。 そして、挙げ句の果てに、 ゲイの友人達とは、 「大谷翔平クンが、もしゲイだったら、日本の同性婚すぐにでも認められるはずよ!」 などと、政治(妄想)話に発展する始末...。 さて、そんな推し生活を始めた自分に、我が家のN君から 「エンジェルス、オークランドで試合やるみたいだよ」 とたれ込みがあった。 それと同時にいつもの会社の同僚からも、 「大谷の試合、見にいく!?」 と仕事中にチャットメッセージが送られてきた。 とはいえ、仕事が忙しく、試合のある週末も仕事があるかもしれぬ。 しかし、このチャンスを逃したら、次いつ大谷クンに会えるか分からない。 などと、頭で考える間にも、気がつくとポチッと前列のチケットを購入していた自分である。 (その後、同僚女子と「大谷、オークランドのどこのホテルに滞在してるのかな」などと、もはや仕事そっちのけ

春よ、遠き春よ。瞼閉じればそこに。

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記録的な寒さが続いている、サンフランシスコ。 毎日のように薄暗い雨の日が続き、時には強い風が吹いたり雹が降ったりしている。 我が家から遠くに見える、ディアブロ山も雪化粧で、その近所に住む上司から送られてきた写真は、まるでロッキー山脈のようで、カリフォルニアとは到底思えない景色だったわ。 何年か前だったか、サンフランシスコの2月には珍しく、夏のような暑い日が訪れ、ゲイの人々がタンクトップにショートパンツでドロレスパークで日光浴をしたり、カストロのバーの窓際で男たちを眺めながら冷たいカクテルを飲んでいたことがあったが、あれは夢か幻だったか。 そんな天気が続いているせいか、ここのところずっと体調がパッとしない自分である。 微熱が続いたり、腹痛があったり、体がだるかったり。 まさかね、と念の為、テストキットでコロナは陰性であることは何度と確認しているのだが。 「この年になると、あっちこっち体調の不調が出てくるよね」 とついこの間も、同僚同年代女子のM子と電話で話していたところだった。 彼女も時々頭痛だったり、時々不調を訴えている。 自分も、昨年末に日本に4年弱ぶりに帰った時に、東京で人生初の人間ドックに行ってきたのだが、心配していた胃こそ軽い炎症が見られる程度だったものの、胆嚢にポリープが5つもあると言われてしまったのだった。 そのうちの1つは要精密検査の一歩手前の大きさということらしい。 とりあえず、アメリカに持ち帰って様子を見ます、ということにその場ではなったのだが、今年のアメリカでの健康診断で改めて見てもらうか、日本にまた帰った時には時間をとって精密検査もしてもらうか、考えているところである(とほほ)。 と、ずっと薄暗い天気が続いていると、そんな辛気臭い話ばかりしてしまうが、それでも天気の良い日は、散歩をしながら桜(梅?桃?)の花びらが美しく散るのを眺めたり、友人の誕生会に参加したり、ミュージカルを観に行ったり、美味しいものを食べに行ったり、なんとか気持ちを盛り上げて、暖かい春が来るのを待ち侘びている。 今年のサンフランシスコの”花見”シーズンは、 この天気のせいで、あっという間に花は散り終わってしまった。 我が家のヒヤスンスちゃんは、今年も元気に咲いてくれました。 美味しいものといえば、つい先週末も、 我が家のN君のお母さんの所属する合唱団のコンサートの前に、 美味

霧の港街の静かな元旦 2023

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明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 と、松の内もだいぶ過ぎてからのご挨拶になってしまいましたが。 ずっと続いていたカリフォルニアの記録的な大雨も、元旦だけは一旦止まり、久しぶりの美しい青空の下、静かに正月を迎えることができた。 先月の日本への帰省・旅行から戻ってきてからは、睡眠障害(早朝覚醒)もだいぶ良くなってきてはいるものの、それでもN君よりよっぽど早く目が覚めてしまう自分である。 なので、正月も早々とベッドから抜け出して、パジャマのまま、大晦日に買い込んでおいた出来合いのお節を重箱に詰めたりする。 あとは、大してお節に興味のないN君のために、ご飯を炊いて酢飯にして、ニジヤで購入しておいたイクラをどーんと乗せて大葉を刻んで、イクラご飯にしたり、年末に会社の上司からもらった柚子があったので、それをくり抜いて、これまたニジヤで購入しておいたタコの刺身をオリーブ油と直島の塩と黒胡椒で和えたものを、その柚子の”お椀”に盛ったり。 こうやって書き出してみると、なんだか台所で仕事のできる女(オカマ)のようだが、カレーさえも失敗する「エスパー魔美」の魔美ちゃんレベルの自分であるから、味もたかが知れている(そもそも料理とも呼べないようなものですね・・・。) それでも、文句も言わずに、なんでも美味しいと食べるN君をみていると、自分もその姿勢を見習わなければなぁ、と正月から思う。 ふとすると、あれは嫌い、仕事も嫌い、人間関係も面倒臭い、掃除洗濯はするけれど、できるものなら何もしたくない、などとなんだかいつでもネガティブになりがちな自分であるが、一方で、N君は基本いつでもポジティブである。(年末も車を駐車場の柱にぶつけ、凹ませた時も、やたらポジティブで、その時は流石にイラっとしたわよね・・・。) 何事も、美味しい、嬉しい、楽しい、ありがたいと捉えて生きる人のように、自分も生きたいと思う。 2023年もこのブログを読んでくださっている方も、我が家も我が家の家族も友人も、平穏に毎日笑顔で健康に過ごせますように! 自分も、味の濃い甘いお節料理は 大して好きなわけでもなく、あまり箸が進まないのも事実(苦笑) (来年は、数の子とか食べたいものだけ選んで買うのでもいいかも) また2日からは大雨になるとのことで、2023年も正月は散歩をして過ごした。 大晦日の大雨で