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7月, 2017の投稿を表示しています

Gattaca (ガタカ)

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以前から「遺伝子検査」に興味を持っていた。 カリフォルニアにある「23andMe」という会社が、10年くらい前から遺伝子分析のサービスを行っていて、先に受けた友人らがその結果をフェイスブック等に載せていてたのを、よく見ていたのだ。 「もうすぐ40だし、自分の祖先や健康を知るのも大事よねぇ」 と、最近なにかにつけて、"もうすぐ大台だから"というのを理由にしている自分だが、今回もそんな勢いで、申し込んでみた。 オンラインで申し込んでから数日で、検査キットが送られてきて、自分の唾を小さな筒に入れて返送すると、数週間後に分析結果がネット上で見られるという仕組みだ。 この小さな筒に唾をためるという作業が簡単なようで難しい! 噂の遺伝子テスト申し込んでみたわ!と友達に言うと、 「あんたは日本人だけじゃなくて、タイ人とかベトナム人の血が入ってるんじゃない?」 とか 「顔濃いから、中東系が混ざってても驚かねえわ」 などと答えが返ってきた。 確かに父が奄美出身で、夏には暑苦しくて嫌がられる感じの濃い顔で、平井堅氏や中孝介君にも勝手に親近感を覚えていた自分である。 実際、以前何度かタイへ旅行をした際は現地の人にタイ人に間違えられてタイ語で話しかけられることもしょっちゅうだったし、この1月にエジプトに行ったときは現地の中東系の人々にやたらもてたのだった。 "もし、自分の祖先が東南アジアの島国や中東の血なんぞと繋がってたら、ロマンだわん・・・?" などと夢見て結果を待つこと1ヶ月。 仕事帰りにメールをチェックしていると、分析が終わったことを知らせるメールが届いていた。 急いで分析レポートにアクセスしてみるとー 東南アジアも中東も0%じゃんよ・・・! 日本大陸の歴史を考えても、東アジアの韓国や中国が入っているのは想定内で、先に遺伝子検査を受けていたM男や他の日本人友達と結果に殆ど大差がなかった。 南アジアのインドがほんのちょこっと入っているのが、他の日本人の友人達と違う程度か。 「でもさ、こうやって結果みると、自分はなに人だから違うとか、どうでもいい話だよね」 とM男が言う。 確かに自分の友人の中に、"あたしは日本人だから"と、それ

大空で抱きしめて

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LAに住むA子から、仕事中にニュースが転送されて来た。 なにかしらん、と仕事がひと段落した頃に読んでみると・・・ 思わず、「うそでしょ!?」と声に出してしまい、周りの若手スタッフから変な目で見られた自分である。 "こりゃ、みんなの意見を聞かなきゃだわ!?" と即座に他のオカマ仲間にこのニュース記事を転送すると、もうみんな大騒ぎ。 その記事というのが、これ だ。 ただのきれいなカラダのいいオトコ、という話ではなく、 この彼、50歳だっていうじゃないの!!! 記事を読んでいくと、シンガポールに住むカメラマンと書いてある。 「ねぇ、ほんとに50歳なの?」 「ずるい! 顔にしわもたるみもないし、髪も黒々ふさふさだし!」 「こんなカラダになりたい! 今日はジム行ってくる」 「彼、絶対ゲイよ! 彼みたいな年上のオトコが欲しいっ!」 と、もうみんな仕事そっちのけでLINEメッセージが矢継ぎ早に飛び交っている。 「んで、どうやったら、こんな50歳になれるの?」 と皆の共通の謎を解明すべくネット記事をたどっていくと、 "ストレスのない生活を送ること” と彼のアドバイスらしき記事に辿り着いた・・・。 ---------------- 20代、30代前半は、仕事の日々のストレスにやられて、胃痛と背痛に悩まされていた自分。 毎週末、日曜が終わりに近づく頃には憂鬱になり、食欲も無くなる程だった。 だが、30代半ばに入ってからは、そのストレスを日々どうやって自分でコントロールして解消するか、ということを考えるようになってきている。 朝出勤前にへたっぴピアノを弾いて気持ちを落ち着かせたり、 通勤中も仕事に関係のない好きな本を読んで過ごしたり、 平日半ばには仕事帰りに楽しみになるような予定を入れたり(なかなか時間ないけど)、 シャワーを浴びながらストレスになる仕事や人間関係のストレスなところを思い返してシミュレーションしたり、 寝る前にエッセンシャルオイルの香りに癒されたり、 週末には仕事を一切忘れてメールをチェックしないで、外に出て大空の下、太陽の光を浴びるように心がけたり。 あるいは、ストレスの元となる仕事で断れるものは断ったり、ストレスと感じる人

フレンチランドリー (2)

フレンチランドリーに行ったことのある友人達の話を思い出していた。 「思いきりお腹空かせて行ったのに、コースが多すぎてデザートまで胃が持たなかった」 「隣のテーブルの向かいに座る派手な女性がどこかで見たことあるとおもったら、レディガガだった」 「予約のキャンセル待ちをいれたが、どうせダメだろうとナパのワイナリーで飲んだくれてたら、突然3時間後の予約が取れたと連絡が入り、ドレスコードのジャケットを持ち合わせてなくて、ナパのダウンタウンで急いで新調してから行った」 などなど・・・。 庶民のオカマには想像のつかない世界だわ。 さて、仕事そっちのけで、何とか自分の誕生日に予約はできないものかと、予約方法を探していたのだが、どうやら奇数月の1日の朝10時に、2ヵ月後から3ヵ月後までの予約をレストランのホームページで受け付ける、というシステムがあるらしい。 つまり9月分と10月分の予約は7月1日が決戦日だ。 他にもネット上には、"レストランの近所にあるというホテルに泊まれば、そこのコンシェルジュが予約を取ってくれる"だとか、"1週間前から毎日レストランに電話して直前のキャンセルで出来た空きを狙う"だとか、色々な予約取得策が書かれていたのだが、 どうやら、自分でレストランのウェブサイトでとるというのが一番確実なようだ。 ---------------------------- 7月1日。決戦の土曜日。 午前5時30分ー 早々目が覚めた(ジジイか)。 「まぁ、予約が取れなかったら取れなかったで、ご縁が無かったってことよね」と自分に言い聞かせながらも、 「でも、朝の10時とか言いながら、フライングでほんとはすでに予約はじまってんじゃないのぉ?」と、早朝からベッドの中でレストランのウェブサイトをチェックしては再読み込みを繰り返したりとジタバタする。 午前7時ー アメリカ人のN君には、 「もしかしたら東海岸時間の10時かもしれないから、7時には一度チェックしたほうがいいんじゃない?」 と言われ、7時きっかりにも予約ページにアクセスしたが、まだ予約は開始しておらずジタバタする。 午前8時ー こんなことで、せっかくの天気の良い週末の朝を過ごすのはもったいないわ!と、ジムで軽

フレンチランドリー (1)

「40歳の誕生日、どうすんの」 とここ何ヶ月か友達に聞かれる度に、 「別に何もしないわよ。39も40も一緒だし。何かすごいことを成し遂げたわけでもないし。」 などと答えていたのだが、 7月に入り、あと3ヶ月ちょっとで40になるとふと気づき 、急に背筋を伸ばして今一度考えてみる自分である。 先に大台に突入した友人達の誕生日の迎え方を思い出してみると、 ハーフムーンベイの海辺の家を借り切ってワンコと静かに過ごしたり、 ボデガベイの太陽の下アウトドアで大勢の友人と牡蠣を食べながら大騒ぎして過ごしたり、 サンフランシスコ市内の人気の美味しいイタリアンの店でワインを傾けながら親しい人たちと語りあって過ごしたりと、 40歳の誕生日の過ごし方も様々だ。 さて、自分はどう過ごそうかしらん? 自分のために大勢の人を呼んでお祝いしてもらいたいなどという気は更々ないし、ハワイやメキシコのビーチで静かに過ごすのもいいが仕事のスケジュールもあるから厳しそうだ。 でも、何もしないというのも、ちと寂しい。 同じくこの10月に40を迎える元同僚女子に相談すると、 「ねえあんた、誕生日なんてどうでもいいとかいってなかった? もうあんた、ほんとぶれっぶれ!」 と手厳しい(が正しい)指摘を受けつつも、 「あんた酒好きだし、ナパやソノマでワイン飲みながらゆっくり過ごせばいいんじゃないの?」 と提案あり。 確かに紅葉色付くナパのワインカントリーで静かに過ごすのも素敵かも、と突然夢見はじめる乙女(中年オカマ)の自分よ。 そして、 "そしたらあの店でディナーとかできたら素敵よねぇ..." と中年オカマの誕生日妄想は、全米一予約が取れないと言われている(らしい)ナパにあるレストラン「 フレンチランドリー 」まで膨らむわけで…。 20代の若かった頃こそ、東京やサンフランシスコの流行りの洒落たレストランを週末毎に食べ歩いていたが、今じゃそういった興味もなくなり、家で質素に食べるか、せいぜい近所の店で済ませることが多い。 とは言え、せっかくカリフォルニアに住んでいるのだし、死ぬ前に一度はこの「フレンチランドリー」で食事してみたいわぁと長年夢見

あの夏を忘れない

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日曜の朝、蒸し暑さで目が覚めた。 「なんなのこの暑さは? サンフランシスコの夏って『アメリカで最も寒い夏』ってヘミングウェイか誰かが言ってたんじゃなかったけ?」 と、あまりの暑さにひとりイライラする、更年期目前の中年オカマのあたしよ。 「そうだ! こんなに暑い日こそ、おそうめん食べなきゃだわ」 と、大分前に日系スーパーのニジヤで買っておいたものの、普段の寒さになかなか食べる機会のなかった、「揖保乃糸」のそうめんを引っ張り出す。 実家に住んでいた小中学生の頃や東京で一人暮らしをしていた時も、夏の週末の昼飯は大抵「揖保乃糸」のそうめんだった。 汗をかきながらキッチンに立ち、さてお湯も沸いたしと、この「揖保乃糸」のパッケージの裏側をふと見ると、賞味期限が半年以上前に切れているじゃないの・・・。 「...。   見なかったことにしましょ。死にゃしねーし。」 と、一瞬手が止まったが、気にせず食べることにする。 日本に居たころは、賞味期限が1日切れてるだけで、「あーん!もったいない!」などと言いながら手付かずのものを捨てたりしてたのだが、アメリカに十何年も住んでいると、神経も身体も鍛えられたのか、一年以上経ったものでも気にしない。 そりゃ、久々に会う日本の友達に、 「あんた、昔に比べてだいぶ大雑把になったわよね?」 などと悪態を叩かれる訳だわ。 当時、母が茹でてくれたそうめんは、いつも野菜や海老の天ぷらが一緒で、 暑い日には麺の上に氷を乗せていた。 会社の日本人上司は、揖保乃糸の中でも「黒帯」しか食べないという。食べてみたい! ----------------------- とは言え、アメリカに十何年住んでいても、変わらずに今でも慣れずにいるのが英語、特に英語でのパブリックスピーキングである。 「それだけアメリカに住んでたら、英語も現地の人みたいにぺらぺらなんでしょ?」 と、たまに日本であう友達や親戚に聞かれたりするが、実際のところはレストランやバーでものを頼むときに自分の英語が通じないときもあれば、映画やテレビも字幕をつけて観たりすることが多い。 先月の半ばには会社でトレーニングがあり、アメリカ各地にあるオフィスからテキサスに集まって一週間みなでホテルに缶詰になり、ネゴシエーションやプレゼンテーション