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まだ生きてるよ

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前回の投稿後、夏の旅行記も中途半端のまま、仕事の繁忙期に入ってしまい、朝晩ストレスで血圧をバクバクさせながら、2ヶ月間、辛い日々を送っていた。 それでも、先週なんとかそんな繁忙期も終わりを迎え、その後遺症でまだ体はしんどいままだが、やっと人間らしい生活が少しずつ戻ってきている。 とにかく食事もままならず、夜も眠れぬような酷い生活をしていたので、こうやって、また平穏な日々に、台所でご飯を研いだり、味噌汁を作ったりする時間が、とんでもないありがたい幸せなことだと思えてくるわよね。 「サンクスギビングの休み、また日本帰ろうかな〜」 繁忙期に入る直前に、同年代のゲイの友人K枝と一緒に飲んでいると、そんな話になった。 K枝は、この春にも、年を重ねた親に会いに、一人っ子の責任感もあってか、コロナ禍以降初めて帰省したのだが、11月の半ばから、サンクスギビングの休みと合わせて、日本に帰ろうか考えているという。 自分も、夏の休暇に日本へ帰ろうかと、実家の母に打診したところ、コロナのことを考えると父や近所の人々が海外から訪れるのにあまりいい顔はしないかもしれない、と言うことで、諦めたのであった。 もはやどこへ行っても、マスクをしている人を見かけることはほとんどなくなった、サンフランシスコである(自分は今でもスーパーやジムではマスクしてますが)。 日本に住む友人たちに話を聞いてみると、東京もだいぶコロナも落ち着いてきているし、久々に帰って来れば、と言う。 それならば、自分もK枝と同じく、サンクスギビング前後に日本帰ろうかしらん!もう4年弱帰ってないし!と妹と相談してみると、 「んー、まだ実家はやめといたほうがいいかも・・・」 と歯切れの悪い返事が返ってきた。 どうやら、実家の父は、まだ自分が海外から帰ってくることに、いい顔をしないという。 こうなると、 ”もしや、自分が同性婚したから、会いたくないとか?” などと、オカマの被害妄想的考えも頭によぎるが、もう80近い(元々頑固な)父のことを考えると、確かに自分が無理強いして帰って、体でも壊されたら困る。 それでも、優しい我が妹は気を遣って、今回は日本国内旅行楽しんだら?とか、父なしでも母や妹夫婦と横浜や東京で会おう!とか、提案してくれる。 自分も家族も友人も、着実に年をとっており、特に日本に住む友人の中には大きな病気をした人もいるから、お互...

クロアチア〜イタリア - 夜行船の旅

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ドゥブロブニクでの4日間という短い滞在の日々。 その小さな街をあてもなく散歩したり、近くにある無人島で泳いだり(ゲイの集まるヌーディストビーチもあったわ!)、旧市街にあるワインバーでクロアチアワインのテイスティングをしたり、エメラルド色のアドリア海を眺めながら夕焼けを眺めたり、としているうちに、あっという間にイタリアへ戻る日がやってきた。 この街にある港から、アドリア海の対岸にあるイタリアのバーリという街まで、夜行船で向かうのである。 ホテルの主の陽気なおばちゃんにそう伝えると、港まで車を出してくれるという。 夕方、英語を話さないおじさんの車に乗り込み、窓から夕暮れ時の美しいドゥブロブニクの街とアドリア海を眺めながら、おセンチな気分(昭和!)に浸っていたら、あっという間に港に到着した。 船に乗り込む前に、ゲートの出国検査でパスポートを手渡すと、船の印のついたスタンプを押してもらう。 EU間ではパスポートの提示は必要ないと思っていたのだが、それはあくまで「シェンゲン協定」と呼ばれる協定を結んだ国の間のみで、クロアチアはその協定に参加していないのだった。(そういえば、通貨もユーロじゃなくて、クーナだったわ。) 船に乗り込み、ホテルのフロントのようなところで部屋の鍵を受け取り、荷物を片手に、迷路のような船の中をやっとのことで、我らの部屋のドアを見つけることができた。 部屋は、まぁ期待はしていなかったけど、以前ポルトガルースペイン間を夜行列車で渡った時の部屋以上に、狭い部屋だったわよね。 それでも、どうしても船でアドリア海を渡りたいと主張していた我が家のN君の手前、まぁ、シャワーもトイレも付いているし、と文句は言わないでおくことにする。 そんなN君は、テレビで中継されている水球大会の試合が見たいというので(クロアチアは水球で有名らしい)、自分は彼を置いて甲板に出て、船が出発するまでの間、クロアチアのビールを片手にクロアチアの薄紫色に染まった港街を眺めることに。 最後に、こうやって船に寝泊まりして旅したのは、いつだったかと思い返してみると、それはもう自分が小学生くらいだった頃に、父に連れられて、神戸からかあるいは鹿児島からだったか、父の実家のある奄美群島へ向かう船の旅だったことを、思い出す。 そんなことを考えていると、船は出発の汽笛を鳴らし港を離れていった。 あっという間に、...

クロアチア - "魔女の宅急便"の街の光と影

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ローマから、飛行機で1時間半ほどで、クロアチアのドゥブロブニクの空港に到着し、陽気な若いお兄さんのタクシーに乗り込んで、海沿いの道を20分ほど走ると、ドゥブロブニクの旧市街が見えてくる。 ドゥブロブニクでの宿は、我が家のN君がネットで見つけてきた、旧市街を見渡せる丘の上にある、小さなホテルだ。 宿主の陽気なおばちゃんから手渡された、クロアチア名物(?)だという、果物の甘いウェルカムドリンクのグラスを片手に、テラスから美しいアドリア海と世界遺産でもある旧市街を、ぼーっと眺めているだけでも、はるばるクロアチアまでやってきた甲斐があった、と思えてくる。(欧州の空港の混乱やらコロナやらで、ここまで来るにも、すったもんだがあったのよ…。) アドリア海の透き通る海の水の色の美しさ。 ずっと眺めていたい景色・・・。 ホテルから丘を歩いて下ると、中世ヨーロッパ感溢れる門に到着した。 旧市街は城壁で囲まれており、いくつかある門を通って街のなかに入る。 城壁上は遊歩道になっているので、美しい旧市街の街並みを眺めながら、歩く。 (観光案内所でドゥブロブニクパスを買うと、観光地巡りに色々お得です。) 城壁の途中のカフェで、アドリア海を背景に乾杯 。 城壁の崖に造られたカフェバーでは、泳いだり飲んだりできるので、N君も大はしゃぎ。 (美しい夕焼け時間は混んでますが、朝一番で行けば空いてます。) 海辺の街なので、魚介が美味い。しかもワインが安いときている。 確実に太っていくわよね・・・。 「アドリア海の真珠」とも呼ばれるこの街は、宮崎駿監督の「魔女の宅急便」や「紅の豚」の舞台モデルとなったらしいが、HBOの人気ドラマの「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地でも使われていたらしく、旅行客向けにロケ地ツアーなども人気らしい。 夜になり、数ヶ月前にオープンしたばかりだという、ドゥブロブニク唯一のゲイバーに、一杯ひっかけにいくと、ペンシルバニアから新婚旅行で来ているというストレートのカップルや、スコットランドから来ているというゲイカップルと話す機会があったが、彼らは、そのロケ地ツアーが、目当てで来たらしい。 そんな美しい観光客にも人気のドゥブロブニクだが、街のあちこちにそんな華やかな雰囲気とは異なる掲示版を、しばしば見かける。 何かと立ち止まってその掲示板をよく見てみると、この街が、セルビア人とクロアチ...

イタリア - 古代ローマの男たちに想いを馳せる

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ローマの古い静かな通りに面したAirbnbの宿に到着したのは、予定を大幅に遅れた夜中の12時過ぎだった。 航空機に遅れが出て、ドイツのフランクフルトでの乗り継ぎに間に合わなかったのである。 若い頃であったならば、 ”予定では初日にスペイン階段で、ジェラート食べる予定だったのに!” などと、イライラと機嫌を損ねていただろうが、今では、 ”まぁ、しょうがない。これも運命なのだわ” と、自分の気持ちに折り合いをつけられるようになったのも、歳をとった証拠か。 今回、ローマの滞在を決めたのは、我が家のN君がクロアチアのドゥブロブニクに行きたいということで、ローマからドゥブロブニクへの直行便が出ているからなのだった。 自分もN君も、ローマへは20年ほど前に訪れたことがあるから、特にこれといってどうしても訪れたい街ではなかったのだが、それから20年経って改めて訪れたローマは、やっぱりすごかった。 ローマは、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」として、ユネスコの世界遺産として登録されているくらいで (Wikipedia情報)、街をぶらりと歩いていると、あちこちにそんな歴史的建築物と遭遇することになる。 元々、TBSの番組「世界遺産」が好きで、20代の頃は、日曜の夜遅くに次の日からまた仕事であることを思うと、鬱々としていたところを、その番組を見て、世界遺産のロマンに触れて、そんなどんよりした気分を紛らわしていたくらいの自分である。 年甲斐もなく、20年前の自分と変わらず、そんな美しい世界遺産を見ては写真を撮りまくるというはしゃぎようだったわよね(恥)。 特に素晴らしかったのは、ベタではあるのだが、やはりバチカン美術館にあるシスティーナ礼拝堂とコロッセオだろうか。 システィーナ礼拝堂のベンチに座り、ミケランジェロの「アダムの創造」や「最後の審判」をはじめとした、美術や世界史の教科書に載っているような名作を目の当たりにしていたら、周りの観光客の喧騒も忘れ、あっという間に30分くらい経ってたわよね。(20年前に訪れた時は、大して感動もしなかったのだが、これも歳をとった証拠!?) コロッセオも、2000年程も前に作られたこの巨大建造物が、今だこうやって姿を残していて、当時の歴史を我々に伝えてくれていることに感動しつつ、ふとだいぶ前に読んだ、我らが田亀源五郎大先...

老後の不安と、理想の60歳と

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先日、友人のK枝が3年ぶりの日本滞在から戻ってきた時も話していたのが、日本を離れて、親と離れて暮らす友人たちと、いつも話題になるのが、親の健康・介護問題や終の住処問題である。 幸いなことに、自分も自分の近しい友人たちも、まだ親が元気でいてくれているのだが、もうかなりの高齢である。いつ何が起こってもおかしくない年齢だ。 ついこの間も実家の母から、ちょっと熱が出て寝てる、と仕事中に珍しく家族チャットが届いたものだから、妹とふたり、コロナの症状は出てる?とか、水分補給して無理しないで!とか、もう仕事どころではない。 もちろん、まだ介護が必要という訳ではないのだから、あれこれと先の心配をしても仕方がないのですがね。 今は、遠い空の下から、いつまでも健康で、元気でいてくれることを祈るだけである。 親の話が出ると、必ずと言っていいほど、 「やっぱり、いずれはここを引き上げて、日本に帰った方がいいかな」 という話がセットで出てくる。 アメリカは物価も高いし、医療費は恐ろしいし。 日本に戻れば、何かあったら親・家族にすぐ会えるし、ご飯も美味しいし。 実際に、そうやって、日本へ帰っていった友人たちをたくさん見送ってきたのだ。 「だいたい、今でさえも英語力あやしいのに、これ以上歳取ったらますます英語が口から出なくなりそうよね」 とついこの間も会社の同僚と、老後のアメリカでの生活の不安を話していたところであった。 そんな話をしていると、 「あんた、日本に帰るって言っても、N君はどうすんのさ」 と聞かれることになる。 「あ、忘れてた(失笑)」 と、半分冗談で答えるが、今現在同性婚が認められていな日本へは、N君と一緒に老後を、というのも厳しい話なのであった。 ーーーーーーー 先日、N君の水泳チームのゲイの友人が60歳(!)になり、その誕生会に招待されていたので行ってきた。 招待状には、ドレスコードが 「ファビュラスな服装」 とある。 ”はて、ファビュラスな服装とは?” としばらく悩み、結局、我々は柄のシャツにスーツジャケット、と地味な格好での参加となった。 会場は、サンフランシスコ市内の大きなレストランを貸し切って行われた。 入り口に到着し、コロナワクチン接種証明を見せて中に入ると、早速ウェイターの青年(いい男!)がスパークリングワインの入ったグラスを手渡してくれて、久しぶりのパーティ気分で...